「東大生だからといっていい気になるな」 東大総長たちが若者に送った強いメッセージ
今日4月12日、東京大学の入学式が例年通り武道館で行われる。東大の入学式・卒業式といえば毎年話題になるのが、その時々の総長やゲストによる式辞(贈る言葉)である。
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1877年の大学創立時から今日に至るまでさまざまな式辞が読まれてきた。特に東大の式辞は入学を祝うと共に、時代の背景を踏まえ学生たちに考えてほしい事柄を取り上げるなど、毎年考えさせられる言葉がつづられている。
その式辞の歴史を振り返ると、時代は大きく違えど歴代の総長やゲストスピーカーが口にするある言葉があった。
それは「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責任)」。
平たく言えば、東大に入った、あるいは出たからといっていい気になるな、おごるな、威張るな、その恵まれた立場には大きな責任が伴うと思いなさい、世のため人のために力を尽くしなさい、ということになるだろうか。
過去の「名式辞」を取り上げて解説をした石井洋二郎氏の著書『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』に掲載されている三つの式辞を、石井氏の解説と共に見てみよう。
(石井洋二郎氏の『東京大学の式辞 歴代総長の贈る言葉』に掲載されている三つの式辞を引用、再構成しました。〈 〉内が式辞、それ以外は石井氏の解説です)
矢内原忠雄が語った「汝の車輪を星につなげよ」の意味
〈「汝の車輪を星につなげよ、」といふ言葉のある通り、諸君の生涯の歩みを真理の星に連結し、真理によつて支へられ、真理と共に進展し、真理と共に永遠の光輝を放つものたらしめよ。たとへ平凡な生涯であつても、これを高貴なる目的につなぐとき、それは永遠の光輝ある一生となるのである。
諸君の学ぶところを、諸君自身の利益のために用ひず、世のため、人のため、殊に弱者のために用ひよ。虐げる者となることなく、虐げられた者を救ふ人となれよ。諸君の生涯を高貴なる目的のためにささげよ。
社会に出て高貴なる目的のために自己の学問をささげようとする者は、「人生において高貴なるものとは何であるか」を、先(ま)づ知らなければならない。諸君の大学生活をば、この「高貴なる人生」の探求たらしめよ。諸君の若き日においてこれを見出すことは、専門的知識の断片を集積するにまさりて、遥かに重要である。私は諸君が、本学に学ぶ数年間を空費せざらんことを希(こいねご)うて止まないのである。〉
1953年の入学式で上のように説いたのは、当時の総長だった矢内原忠雄です。「汝の車輪を星につなげよ」というのは、19世紀アメリカの作家・思想家、ラルフ・ワルド・エマーソンの『社会と孤独』(1870年)に見られる「君の馬車を星につなげ」(Hitch your wagon to a star)という有名な言葉を踏まえたものと思われますが、要は大きな目標をもって進めといった意味です。エマーソンは無教会主義の先導者でもあり、内村鑑三はその影響を受けていましたから、内村の薫陶を受けた矢内原忠雄もその著作に早くから親しんでいたのでしょう。
それにしても、なんと力強い、なんと格調の高い式辞でしょうか。弱者のため、虐げられた者のために「高貴なる人生」を歩むことを呼びかける総長の言葉は、70年を経た今でもなお新鮮な訴求力をもって響いてきます。「学力が未熟であり、人間としても幼い」と言われた新入生たちも、ノブレス・オブリージュの精神を鼓舞するこの理想主義の言説に魂を揺さぶられ、成長への志を新たにしたにちがいありません。
新渡戸稲造の『武士道』精神
第20代総長の西洋史学者、林健太郎(在任1973-77)は、1968年11月1日の大河内一男総長辞任にともなう人事一新で文学部長に就任した直後、文学部全共闘との団体交渉に臨み、11月4日から12日まで、じつに173時間にわたって学内の建物にカンヅメ状態にされた「林健太郎監禁事件」で有名です。そんな林総長は1976年の入学式式辞で、歴史学者らしく、先人たちの言葉を織り交ぜた式辞を新入生に贈っています。
〈フランス語に“ノブレス オブリージュ”(Noblesse oblige)という言葉があります。Noblesseは貴族、obligeは義務があるという意味で、これは貴族である者には、それに伴って強い義務があるということであります。日本でも武士には武士の厳しい倫理というものがありました。諸君は新渡戸稲造という人を知っていると思います。かつてこの人が武士道という本を英語で書きました。東京大学の教授であった新渡戸稲造はクリスチャンでありましたけれども、日本の文化、精神というもののよい面を外国に知らせなければいけないというので大いに努力したのであります。〉
新渡戸稲造は札幌農学校(現北海道大学)で内村鑑三の同期生であり、南原繁も矢内原忠雄も同じ聖書研究会のメンバーでした。英語で書かれた『武士道』は1899年にアメリカで刊行された後、各国語に翻訳されて世界的なベストセラーになり、日本語版も1908年に出版されています。
キリスト教とは直接関係しない日本の伝統文化を、母語ではない言語であえて外国に紹介する労をとった新渡戸の強固な使命感に、林総長は武士道に通じる「ノブレス・オブリージュ」、すなわち「高き身分の者に伴う義務」の範を見て取ったのでしょう。
林総長はさらに、東大初期の卒業生である森鴎外がドイツ留学中に書いた「ForschungのFruchtを教えるの期は去れり。Forschungを養うべし」という言葉を引き、研究(Forschung)の結果(Frucht)だけを教えている時期はすでに去った、これからは研究という行為そのものを教えなければいけないと述べていたことを紹介していますが、これは前年の入学式で語られていた「物を知る方法を知る」という方法論・認識論の重要性を、いち早く指摘したものと言えるでしょう。このように、先人たちの行為や言葉を織り交ぜながら学問の本質を説く林健太郎総長の式辞には、いかにも歴史学者らしい知見がちりばめられています。
「頑張っても報われない人たち」を助けられる人に
最後に、上野千鶴子名誉教授が述べた2019年(平成31年)4月12日の入学式祝辞を見てみましょう。
この祝辞はマスコミでもずいぶん話題になり、ネットでも賛否両論が飛び交いましたので、だいたいのことはご存じの方も少なくないと思いますが、その取り上げられ方には良くも悪くもある種のバイアスがかかっていたのではないかというのが、私の印象です。つまり語り手が著名な(括弧つきの)「フェミニスト」であるという先入観から、この祝辞を「長いあいだ女は差別されてきた、そうした土壌を作ってきたのは男の責任である」という、単純なフェミニズムの言説に回収してしまう論調が目立ったような気がするのです。
しかし全文を冷静に読んでみれば、これが男性社会を一方的に糾弾することを目的としたスピーチとはまったく異質なものであることがよくわかります。その趣旨は、しばしば引用される次の一節に集約されています。
〈あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと(ママ)忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。〉
自分が恵まれた環境にあったからこそ今日の自分がある。しかし世の中には環境に恵まれなかったために、がんばることすらできなかった人たち、がんばろうという気持ちさえ抱けなかった人たちがいる、あなた方はせっかく環境と能力に恵まれたのだから、そうした人たちのことを常に念頭に置いて、自分の力をそうした人たちのために使ってほしい――。
これはまさに、矢内原忠雄総長が半世紀以上も前の入学式で語った「諸君の学ぶところを、諸君自身の利益のために用ひず、世のため、人のため、殊に弱者のために用ひよ。虐げる者となることなく、虐げられた者を救ふ人となれよ」という言葉と響き合うものであり、林健太郎総長が式辞で紹介した「ノブレス・オブリージュ」の考え方そのものです。
受験競争を勝ち抜いて東京大学に合格したこと自体が「ノブレス」の証(あかし)でもなんでもないことは、言うまでもありません。新入生たちがまずなすべきことは、これからの時間を使って、「オブリージュ」(義務を負わせる)という動詞にふさわしい本物のノブレスになるべく努力することであり、彼らはその出発点に立ったにすぎないのです。
上野千鶴子は祝辞の最後で、「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだ」と語っています。「知を生み出すための知」=メタ知識を獲得すること、それこそがノブレスとなるための第一条件であるという彼女のメッセージは、幸運にもその機会に恵まれた新入生たちに向けて投げかけられた厳しくも熱いエールであると、私は思います。