あんなことがあったのに、次に会った時はみんなで平然と…妻と愛人と同居する52歳「変人夫」が明かす“性の原体験”

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 世の中には「変わった人」がいる。だが、それはあくまでも「世間の常識からはずれている人」であって、その人が本当に変人というわけではない。コミュニケーションもとれるし、社会人として立派に生きている。子どもの前ではただの「お父さん」だ。だが、社会人、家庭人という枠からはずれると、「とんでもない人」でもある。

 本人もわかっていたりはするのだ。「世間に合わせられない」ことを。だが、その人は自分の興味を追求するのをやめられない。そして世間からはずれている分、人に優しい。10年以上にわたって知り合いである、鶴田芳裕さん(52歳・仮名=以下同)の表の顔は、地位のある立派な社会人。しかし裏の顔は「変わった人」だ。つかず離れずでつきあいがあったのだが、今、困ったことになっていると連絡があり、コロナ禍以来、久しぶりに顔を合わせた。

「妻妾同居みたいなことになっていたん だけど、その愛人のほうが妻ともセクシャルな意味で仲がいいんだよね」

 へえ、と私は言った。芳裕さんがそういうことを「困った」と思うようなタイプではないと想像していたから意外だった。

甘やかされた幼少期

 芳裕さんは、転勤族の父親と、一回り年下の専業主婦の母との間に生まれたひとりっ子だ。父が50歳近くなってからようやく授かった子だったため、溺愛されて育ったという。父は「転勤族だと子どもがかわいそうだ」と会社を辞め、親戚と一緒に起業した。その仕事が軌道に乗ったこともあって、彼は甘やかされて育った。

「子どもの足で歩いて5分の小学校に、オヤジが車で送っていってくれるんですよ。恥ずかしかったなあ。帰りは迎えに来るんだから、オヤジはろくに働いてなかったんじゃないかな。帰るとおふくろが手作りのおやつを作って待ってる。勉強なんかしたことがなかった。僕が元気に生きているだけで両親は大喜びなんですよ。だから絶対的な自己肯定感をもって育ったんでしょうね。それがよかったかどうかはわからないけど……」

 親にあまりにもかわいがられたせいで、ろくに反抗期も経ず、グレたくてもグレることさえできなかったと彼は苦笑する。嫌なことは飲み込む性分になった。わがままに育っても不思議はないのだが、彼は常に人と自分との距離感、自分と世間とのバランスをとろうとするところがある。過大な自己肯定感に怯えているようなところもあった。絵や写真などの芸術をこよなく愛する彼は、実は繊細な心を抱えているのだろう。

 大学を出たものの「本当は画家になりたかった」という彼は、就職もせずにアルバイトをしながらぶらぶらしていた。小さな劇団に入り込んでチラシやポスターを制作していたこともある。

「ところが25歳のときに父が事故で亡くなって……。母は『私もあとを追う』と嘆き悲しんでいるので目を離せなかった。落ち着いたころ、親戚から『オヤジのあとを継いで仕事をしてみないか』と言われたんです。いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないし、親戚にいちから仕事を教わりました」

 一方、恋愛に関しては「妄想ばかり繰り広げていて、実態が伴わないタイプだった」と芳裕さんは言う。中学生のころ好きな子ができたが、好きなのに意地悪ばかり言って泣かせてしまった。そのことを今も、自らの傷だという。

「大学生のときやっと彼女ができましたが、ひとりの女性とうまくつきあっていくことができず、結局、他の子ともデートしてそれがバレてフラれて。そんなことばかりしていました。恋とか愛とか、いくつになってもわからなかったんですよ。親戚と一緒に仕事をするようになってからは、よく結婚しないのかと聞かれたけど、結婚してオレみたいな子ができたら嫌だなあと思ってた(笑)。当時、おふくろはオヤジを失ってふぬけ状態だった。他の親戚がよくうちに来てめんどうを見てくれましたね。家にいても僕は、おふくろを喜ばせることができない。陰気な雰囲気に耐えられず、あまり自宅に帰らなくなりました」

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