「スマホ育児」の意外な悪影響とは “思い通りにならない”経験をしない子どもが直面する厳しすぎる現実
スマホを使っている親をチラチラ……
これは、親がスマホを使う場合でも同様です。
テレビは「一緒に同じものを観る」という体験の共有ができるのでまだマシですが、スマホやタブレットは完全に「個人の世界」に没入することになります。子どももそのことがわかっているのか、親がスマホやタブレットを見ていると明らかに話しかけてくることが減ります。
じっと子どもを観察してみてください。子どもは親の方をチラチラ見ているものです。その時、親がスマホに集中していたら話しかけてきません。そうやって知らないうちに「関わりの機会」を逃していることになります。
もちろん、スマホを使うなとは言いませんが、子どもが話しかけてきたら画面から目を離し、スマホやタブレットを伏せて子どもの方を見てあげましょう。それだけで「スマホなんかより、あなたの方が大切だよ」ということが伝わります。また、それが伝われば、そのうち親がスマホを見ていたとしても、遠慮なく話しかけてくるようになります。そうなれば、親が忙しくしていようが「ねーねー」と話しかけてきて大変になりますが、そうした大変な関わりの中で「ごちゃごちゃとしたやり取り」を積み重ねていくことが重要なんですね。
児童期の「こころのテーマ」を知っておこう
最後に、児童期(小学校の前半)に子どもたちが身につけていくことが大切な「こころのテーマ」についてお話ししておきましょう。
児童期のテーマをよく描写しているのが「ドラえもん」です。ドラえもんでは、いつものび太が現実世界で敗れたときに「ドラえも~ん、なんとかしてよぅ」と秘密道具をねだります。ドラえもんは「仕方ないなぁ」と秘密道具を出してあげるわけですが、オチはいつも同じで、(1)秘密道具を好き勝手に使って酷い目に遭う、(2)みんなで秘密道具を共有して調和的に遊ぶ、のいずれかになります。
精神科医の中井久夫先生は、上記は「現実原則を裏から教えるもので、多分、ドラえもんは、のび太を、児童期の現実原則にみちびき、空想の世界に退却してしまわないようにと、未来世界からつかわされたのだろう」としています。
現実原則とは「現実の世界に適応するために、快楽だけを追い求める欲求を調節しようとするこころの働き」を意味します。つまり、秘密道具という「好き勝手できるもの」を無法に使っていてはロクなことにならない、好き勝手したいという欲求にそれなりに手綱をつけておくことが大事なんだよ、自分の欲求のまま動くのではなくみんなで協力しながら物事をこなすものなんだよ、ということです。こうしたことを児童期では身につけていくことが重要になります。
[2/3ページ]