友達に彫刻刀を突きつけた小3女児が、逆に「いじめられた」と訴え 不登校29万人超の背景に「問題を認められない」親子
幸せな大人が忘れてしまった不安
なぜ「自分の問題を認められない」や「外罰的な姿勢」などのあり様が子どもたちに出てきているのでしょうか?
多くの成熟した幸せな大人たちはすっかり忘れてしまっていることですが、子どもにとって「問題」を自分のものと認め、受け容れていくのは大変なことなんです。自分に非があると認めれば、「こんな悪い自分は親に見捨てられてしまうんじゃないか」という不安が生じます。これは決して大袈裟なことではありません。
アメリカの精神科医Sullivan,H.S.は人間の追求する目標の一つに「安全」を挙げています。
人間は1人では生きていけない状態で生まれますから、生存のために周囲の「重要人物(特に母親)」との対人関係における「安全」の保障が絶対的な意味をもつのです。だからこそ、子どもにとって最大の恐怖は「見捨てられること」です。余談ですが、昔は「お前はもらわれっ子だ」とか「橋の下に捨ててくるぞ」などのような脅しがよく家庭内で使われていました。こういう脅しは、見捨てられる恐怖をもつ子どもによく効くのです。言うまでもありませんが、使わない方が良いですよ。
子どもにとって「自分の問題を認める」とは、こうした「安全」が損なわれ、見捨てられるリスクが高い状況であり、だからこそ客観的に自明なことであっても、また、問題を認めないことが明らかな悪循環を生んだとしても、決して非を認めないという事態が起こるわけです。時には、自分の問題を他者に転嫁したり、外を責めることで自分の問題を薄めようとしたりするなど、あの手この手を使うことさえあります。ですが、こうした厄介な言動も「生死がかかっている」という視点で見ると、多少は理解しやすいでしょう。彼らは必死なのです。
まずは「いけないことだ」と伝える
では、子どもたちが「自分の問題」を認められるようになるには、どういう体験が必要なのかをお話ししていきましょう。大きく2つの体験が大切になります。
1つは「きちんと問題に向き合ってもらう」という体験です。
親が子どもの問題に注目し、子どもを改善・成長させていこうと働きかけていくことを指します。子どもが問題を起こしたら、それを親が「問題である」と同定し、その問題を改善するために必要なことを示していくわけです。
上記の事例で言えば、友達にしたことを「いけないことだ」ときちんと伝え、必要な手続き(友達への謝罪、子どもがどういう思いで行ったのか話し合う、今後子どもが同様の問題を起こさないために必要なことを考える等)を取っていくことが求められるわけです。
子どもの問題に注目することで「子どもが傷つく」と考える人もいるようですが、本当にそうでしょうか? 私は逆だと思います。「子どもの問題」に触れない、関わらないという態度の方が、長い目で見ればよっぽど子どもを傷つけることになるのです。
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