【光る君へ】紫式部との恋愛どころではなかった…藤原道長が執念を燃やした二人の源氏との縁談

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源氏の血を望んだのは道長自身

 この縁談、『光る君へ』では、先述したように父の兼家が主導したように描かれたが、歴史物語の『大鏡』には、道長自身が率先して進めたように書かれている。おそらくは、それが真相なのではないだろうか。なぜなら、父の兼家も、兄の道隆や道兼も、源倫子のような高貴な血筋の女性とは結婚していないからである。

 兼家の正妻の時姫、つまり道長の母は、藤原仲正という受領(地方長官)階級の娘だった。受領は中級貴族であり、中央での出世は望めない場合が多かった。そして、道隆の正妻の高階貴子も、道隆の正妻の藤原遠量女も、父と同じく受領階級の娘だった。要は、兼家は、立身出世するために、妻の家柄に頼る必要性をあまり感じていなかった節がある。

 だが、道長は違った。五男坊が栄達を重ねるためには、「高貴な血」を入れる必要があると考えたのではないだろうか。だからこそ、ほぼ同時に、源氏の二人の娘と結婚する道を選んだのだろう。

 ほぼ同時に結婚したもう一人の妻が、源高明の娘の明子(ドラマでは瀧内公美)だった。彼女は血筋だけなら倫子を上回っていた。なにしろ父の高明は醍醐天皇の子だったので、明子はその孫ということになる。それでも、倫子の立場を超えることができなかったのには理由があった。冒頭で記したように、高明は政変によって安和2年(969)、左大臣の要職を追われて太宰府に流され、このときはすでに没していた。つまり、倫子のように実家の後ろ盾がなかったのである。

高貴な血で家の価値を高める

 このため明子は、一条天皇の母として皇太后になっていた詮子のもとに引きとられていたのだが、落ちぶれたとはいっても天皇の孫。何人もの貴族から結婚の申し込みがあったようだ。しかし、詮子の導きと、高貴な血に対する道長の渇望があって、道長の第二夫人になった。

 ちなみに、道長は倫子とのあいだに2男4女を、明子とのあいだに4男2女をもうけている。

 とりわけ倫子が産んだ子は、男子は長男の頼通も、五男の教通も、関白太政大臣という政権のトップに上り詰めた。また4人の女子は、長女の彰子が一条天皇の中宮になり、その後も次女の妍子が三条天皇の、四女の威子が後一条天皇の中宮になった。六女の嬉子は、入内した東宮(皇太子)が後朱雀天皇として即位する前に没したので、中宮にこそなれなかったが、道長は4人全員を天皇や東宮のもとに入内させ、正室にした。

 むろんドラマでも、道長が下級貴族の娘であるまひろへの純愛にうつつを抜かし、結婚後も忘れられずにいる状況は、いつまでも続かないとは思うが、史実の道長は、これほど妻の血筋にこだわった。そして、血統を高めながら家の価値を高めようとしたのである。

香原斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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