「一平ちゃんのじいじは“その筋の人”で、ばくちも…」 水原一平氏の知られざる生い立ち
人知れず姿を消した祖父
英政氏が「一平の父」として脚光を浴び出すのは、今から10年ほど前のことである。2012年に息子が日本ハムに通訳として採用された縁で、16年からは同球団のアリゾナキャンプで専属コックを拝命。日本で食べるのと変わらぬ和食を次々に提供してくれると評判になり、当時の栗山英樹監督や大谷ら選手たちとの交流を重ねた。その姿がメディアにも取り上げられるなど、球界では知る人ぞ知る存在となっていく。
かように息子や孫が新天地で活躍する一方、苫小牧に残った祖父母は人知れず地元から姿を消していた。
祖母と親交のあった地元住民によると、
「15年ほど前までスナックは営業していたと記憶しているけど、ある時夫婦げんかをしたみたいで、旦那さん、つまり一平ちゃんのおじいちゃんが町外へ出て行ってしまった。それからしばらくして、祖母も親戚を頼って札幌の方へと引っ越していった。それでも大谷選手が活躍して一平ちゃんが有名になると、わざわざ“ウチの孫なのよ”などとうれしそうに連絡を寄越してくれていた。息子や孫に呼ばれてアメリカへ行ったこともあるみたいで、古くから付き合いのある人たちに、お土産を配ってくれたこともありました」
孫の活躍に目を細めていたというが、よもやギャンブルで身を持ち崩すとは誰が想像していただろう。
〈祖母や親戚の住む北海道で働きたい〉
別の住民がこうも話す。
「ついこの間までは、外の人に会ったら『あの一平ちゃんが、わが町に住んでいた』って自慢できたんだけど、それがこんなことになっちゃって……。今は一切、口に出せなくなってしまい残念です」
今から11年前、水原氏が故郷に錦を飾る出来事があった。
地元紙「北海道新聞」(13年4月20日付)の人物欄に、日ハムの通訳に採用されたとして、写真付きインタビューが掲載されたのである。ちなみに彼がメディアから初取材を受けた記念すべき新聞記事となったが、その中で彼は、以下のように抱負を語ってみせたのだった。
〈祖母や親戚の住む北海道で働きたい〉
彼が故郷への熱き思いを振り返る日は来るのだろうか。