「一平ちゃんのじいじは“その筋の人”で、ばくちも…」 水原一平氏の知られざる生い立ち

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スポーツに情熱を傾けた父

 そのような祖父とは異なり、水原氏の実父・英政氏(64)は、スポーツに情熱を傾けていた。学生時代、英政氏と親交のあった同窓生によれば、

「小・中学校ともに英政君は苫小牧市内に通っていたけど、この街は日本で一番アイスホッケーが盛んな土地で、一流選手の多くが地元出身。その影響で彼はプロの選手を目指していてね。中学の頃は、自宅の裏に鉄棒を作って、懸垂とかして体力づくりに励んでいましたよ。本気でアイスホッケーで生計を立てようとしていたからね。本場で鍛えたいと自分から希望して、高校生の時にアメリカやカナダへホッケー留学していました」

 渡航や現地での生活にかかる多額の費用は、全て英政氏の父親が工面していたそうだ。

「もともと頭の回転も良かった人だったし、手広く商売していた。すしの飾りに使うような青い葉っぱなどを、わざわざ国立公園とかから採ってきては丁寧に洗って使ったり、この辺りの名産である北寄貝を加工して本州方面に空輸したりもしてね。家の前に貝殻が山積みになっているのを見ました」(同)

街の人々に愛されて育った水原氏

 奇しくも大谷が夢見たように、ジャンルは違えど北米大陸でプロのアスリートを目指した英政氏は、武者修行を終えて19歳で帰国後、地元・苫小牧を本拠地とする実業団チームに所属。アイスホッケー界での将来を期待されたが、ケガにより現役を退いている。

「本当に英政君はスポーツマンというイメージがぴったりで、少なくとも日本にいた時はギャンブルとは無縁に見えた。むしろ、アウトローな世界を嫌っていたんじゃないかと思う。実業団を辞めた後、しばらく地元でも姿を見なかったけど、実家のすし店を手伝ったり、札幌あたりの飲食店で修業していたんじゃないか。今の奥さんとの間に一平ちゃんが生まれてから、再び近所で見かけるようになった時は、包丁を手に仕事をしていましたから」(同)

 当時を知る地元住民に話を聞くと、

「苫小牧の街中にある病院で一平ちゃんは生まれたそうだけど、両親が共働きだったから、昼間はおばあちゃんが面倒を見ていてね。まだ自分の足で立てない一平ちゃんは、ヨチヨチと玄関先に出てくるもんだから、隣近所の人たちに頭をなでなでされてました。まだ幼かったから、すごく活発というわけじゃなかったけど、みんなにかわいがられて育っていましたよ」

 町の人たちに愛された「一平ちゃん」だったが、料理人となっていた英政氏が知人の誘いを受けて、1991年に一家での渡米を決意。ロサンゼルスなどの日本料理店やすし店を「流れ板」として転々とする。

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