坂本龍一は「そのままの音をそのまま出す」ことを目指した 音響監修を担当した“新宿の映画館”に遺したもの

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なぜ「坂本龍一」だったのか

――近年は音を重要視する映画館が増えています。この映画館も同じ流れにありますが、なぜ坂本さんに協力を要請されたのでしょうか。

 動画配信サービスの普及により、今は映画館での鑑賞という行為の意味が問われる時代です。そこで映画館の価値を考えた際、 自宅では再現できない音を重要視するトレンドが生まれました。この映画館の開発でも同様ですが、音の良さはお客様になかなか伝わりづらいものですから、どなたかのお力を借りるアプローチが必要だと考えたのです。

 候補となる方を検討したところ、坂本さんのお名前が挙がりました。坂本さんは世界的な音楽家であると同時に、映画自体にも思い入れがおありです。坂本さんが出演され、音楽も担当された「戦場のメリークリスマス」(1983年)をミラノ座で公開させていただいたご縁や、坂本さんと新宿のご縁もありました。

――坂本さんは新宿高等学校(新宿区内藤町)の卒業生ですから、新宿は青春時代を過ごされた街でもあります。

 高校時代の坂本さんは、新宿の映画館で本当に浴びるほど映画をご覧になっていたそうです。東急歌舞伎町タワー自体が、新宿と歌舞伎町の街と一緒に文化をより盛り上げていくことを重要視していますので、そうした意味でも坂本さん以上の方は考えられないという結論になりました。

「世界のサカモト」と対面

――坂本さんのご快諾を受けて開発プロジェクトが本格化しました。廣野さんはオンラインでのミーティングに参加されたそうですが、「世界のサカモト」との対面はなかなかの“大事件”だったのでは。

 非常に緊張して、開始の2時間くらい前から回線と音声のチェックをしていました(笑)。そして我々が先にスタンバイしていると、坂本さんはひょいっと画面の中へお見えになって。まずは我々が目指す音などをお話しさせていただき、それに対してアドバイスをいただく形で進みました。

――坂本さんはどのような方でしたか?

 本当に気さくな方で、ここまで積極的になっていただけるのかとありがたく思いました。細かい口調やしぐさは緊張のあまり記憶が飛んでいるのですが(笑)、笑顔もあって和やかで、我々が話しやすいように配慮していただくなど、優しい方だという印象が今も強く残っています。ですが私は、終わって緊張が解けると、その日はもう他の仕事ができませんでした(笑)。

――坂本さんのアドバイスをもとにした現場での作業は、坂本さんが信頼する音響システム会社のエンジニアの皆さんが手がけました。電流にまでこだわっていたそうですね。

 坂本さんはミーティングの段階から、安定した電流の確保や、スピーカーだけではなくケーブル、アンプなどすべてにこだわってほしいとおっしゃっていました。それを受けて、たとえばケーブルだとエンジニアの方々に選択肢を挙げていただき、実際にスタジオで我々も含めて聞き比べをしています。全員がいいと思ったケーブルをさらにカスタマイズして、当館のシステムに導入しました。

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