映画「アイアンクロー」 鉄の爪・エリック一家とブルーザー・ブロディの知られざる関係とは
息子全員がプロレスラーに
映画に登場するのは、次男・ケビン、三男・デビッド、四男・ケリー、5男・マイクの4人。長男のジャックJrは歳で感電死しており、実質的な長兄であったケビンは意外にも1970年、13歳で初来日している。「人々は真面目で優しいし、街も綺麗」と、すっかり日本びいきになった父フリッツが、自身の試合にケビンを同行させたのだ。同じように他の兄弟も、父の試合への帯同で、続々と来日している。注目すべきはその時から、兄弟たちがボール等を握り、握力を増す鍛錬をしていたことである。もちろんこれは、父による英才教育に他ならなかった。
父・フリッツは初来日を果たした1966年、地元のテキサス州ダラスに自身のプロモーションを設立している。そして、兄弟たちは、全員がプロレスラー・デビューを果たし、ダラスは父と息子たちを主役に展開するプロレスのメッカ、“鉄の爪王国”となるのである。
1979年5月、全日本プロレスに初登場したケビンとデビッドは、この2年後、現在もタイトルとして続く全日本プロレスの至宝、「アジアタッグ選手権」を、同王座の顔とも言えた大熊元司・グレート小鹿の“極道コンビ”から奪取、35代目の王者として名を残している。
1985年10月4日には、ケビンとケリーのタッグで、新日本プロレスに初登場(vs藤波辰巳、木村健悟。札幌中島体育センター)。これは当時、外国人勢の陣容の薄さに悩んでいた新日本プロレスが、フリッツと提携したことで実現したものだった。だが、エリック兄弟は、この試合だけに出場すると、アメリカへトンボ帰り。にもかかわらず、テレビでは1時間半の特番が生中継で編成された。当時のエリック一家の人気がうかがわれよう。
なお、翌年からはケビンもケリーも短期間ながらシリーズ参戦することが増え、ケリーは藤波にシングルでフォール勝ちしているし(1986年5月16日)、ケビンはなんと、猪木とタッグを結成したことも(vs木村健悟&武藤敬司。同年11月3日)。この不可思議な組み合わせは、本来なら藤波vs木村、武藤vsケビンの予定が、藤波の欠場で崩れ、やむなく編成されたものだが、試合は流血をともなう大死闘となり、今もファンの間で語り草の名勝負となっている。ケビンもヒートアップした展開に熱く乗っており、この試合のみでビデオ発売されているほどである(ポニーキャニオン、「闘魂伝承」シリーズの一作)。
[2/4ページ]