世耕弘成議員に離党勧告処分 元国会議員の祖父は東条英機に反旗を翻し、孫と真逆のことをやっていた
日銀ダイヤで脚光
「日本人の多くは、今日の食事にも事欠く状態でした。ところが一部の役人などは不正利益を求めて奔走していたわけです。軍部が秘匿していた物資は『隠退蔵物資』と呼ばれるようになり、国会で弘一氏は政府が率先して隠退蔵物資を差し押さえ、正規の流通ルートに乗せれば日本人は餓死しないと主張したのです。これを食糧難に苦しむ国民が注目したのは当然で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の後押しもあり、隠退蔵物資等処理委員会を設置。弘一氏は副委員長に抜擢されたのです」 (同・記者)
さらに弘一氏の知名度を高めたのが「日銀ダイヤ」の問題だ。戦時中、工業用ダイヤの不足に直面した政府は、国民に宝飾品としてのダイヤを供出するよう求めた。
「国民が差し出したダイヤは日本銀行の金庫に保管されているはずだったのです。ところが弘一氏が調べると、その大半が行方不明だと判明しました。政府関係者が勝手に売ってしまったのは明らかで、弘一氏は回収に乗り出します。そして一部を取り戻すことに成功したため、国民の喝采を浴びることになったのです」(同・記者)
とはいえ、弘一氏の手法は常に物議を醸した。例えば倉庫に隠されていた水飴を確保する際、警察が非協力的だったことに業を煮やし、地元の暴力団に差し押さえを依頼、という調子だったのだ。弘一氏は隠退蔵物資に関する情報提供者には報酬を支払うとの法律も策定させたため、彼の周りを怪しげな人物が十重二十重に取り囲んだ。
国会に証人喚問
「弘一氏の攻撃的な姿勢も問題になりました。何しろエリート官僚や検察官、警察官を筆頭に、かなりの公務員が不正に関与していると糾弾。さらに有力政治家や閣僚の関与まで主張したのです。その発言に関係者の多くが反発し、逆に『弘一氏こそ物資の不正流用に関与している』という怪情報を流されたこともありました」(同・記者)
当時の有力なフィクサーが検察の取り調べに対し、「弘一氏に現金を手渡した」と供述。そのため1947(昭和22)年2月に設置された隠退蔵物資等処理委員会は、わずか半年後の8月に廃止されてしまう。さらに翌年、弘一氏は国会に証人喚問され、衆議院の不当財産取引調査特別委員会で現金受取に関して証言を求められた。
「委員会でもフィクサーの証言内容が示されましたが、弘一氏は『そういう金は受取っておりません』と全面否定。隠退蔵物資処理等委員会で不正摘発に尽力している際、買収資金が様々な名目で手元に届けられたことを明らかにし、『万一私がそういう金に手を染めたら最後、隱退藏物資の摘発の仕事は終りを告げなければならぬということを私は覚悟いたしておりました』と潔白を主張したのです」(同・記者)
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