「キレイゴトに染まる若者」「紙ストローでもフタはプラスチック」 元京大教授が危険視するSDGsの“正義の暴走”と“矛盾”その驚くべき実態とは
街を歩けばSDGs、テレビを観てもSDGs……。地球環境を守ろうというのは、まあ悪いことではないのであろう。しかし、いい大人はどこか引っ掛かりを覚えるはずだ。キレイゴトが跋扈(ばっこ)するこの世の中、何かおかしくないかと。「京大変人講座」の発起人としても知られる酒井敏氏が、SDGsが抱える矛盾と危険性を検証する。(酒井 敏/元「京大変人講座」教授・静岡県立大学副学長 以下は「週刊新潮」2023年8月31日号掲載の内容です)
本音と建て前
17色でキレイに彩られたSDGs(持続可能な開発目標)のピンバッジを胸に輝かせる――。無論、悪いことでも、とがめるべきことでもありません。しかし、私自身がバッジを着けろと言われたら丁重にお断りさせていただきます。
現在、私は勤務している大学で副学長として「SDGs担当」を務めており、本当はこんなことを大きな声で言ってはいけないのかもしれません。それでも、やはりバッジの装着は遠慮させていただきたいと思います。
SDGs、それはキレイゴトだからです。バッジを胸に着けることは、「私はいまキレイゴトを言っています!」と宣言しているに等しい気がしてならないのです。どうにもこうにも気恥ずかしくて堪(たま)らない。
そう感じるのは私だけでしょうか?
〈こう問いかけるのは酒井敏(さとし)氏である。
地球流体力学を専門とし、長年、京都大学で教鞭を執ってきた酒井氏は、同大大学院人間・環境学研究科教授時代に「京大変人講座」を開講して話題を呼んだ。現在は出身地に戻り、静岡県立大学の副学長を務めている。
そんな酒井氏は、科学者の目から現下のSDGsに関する世相に警鐘を鳴らしている。いわく、「SDGsはオモロない」と――。〉
世の中には本音と建て前が存在する。
社会経験を積んだいい大人であれば、誰もが理解し、実感している「この世の本質」のひとつといえるでしょう。
しかし、大学生や高校生といった純真無垢な若者たちはそうではありません。最近の若者たちには本音がなく、世間の建て前が自分の“本音”になってしまっているケースが少なくないのです。
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