「手柄は自分のもの」「失敗は人のせい」タイプの上司が必ず失敗する理由
自民党の「裏金問題」に対する国民の風当たりが強く、そしてなかなか止まない理由としてよく挙げられるのは、「自分たちは少しでも収入の申告を間違えたら税務署から厳しく指摘されるのに」という強い不満である。さらに、当事者たちが「秘書」「事務方」など、「下の者」のせいにしている点もまた、嫌悪感を持たれる要因だろう。
もっとも、こうした構図は珍しいものではない。いや、むしろある程度の期間、組織に勤めた経験を持つ方ならば一度は見たことがあるのではないか。つまり、失敗は他人(部下)のせいにして、成功は自分の手柄だと言う上司の存在である。
企業の再建などに携わってきた経験を持つ編集ディレクターの桃野泰徳さんが、著書『なぜこんな人が上司なのか』の冒頭で取り上げているのは、「私がいたからこそ成功した」と臆面もなく言い放つ取締役だ。ヘッドハンティングにより桃野さんの勤める会社に移籍してきたこの人物は、直近の受注について、株主から「さすがですね」といった言葉をかけられた際、こう言ったという。
「これくらいのこと、当然です。特に難しい仕事でもありません」
聞いた桃野さんは思わず取締役の顔を二度見してしまった。というのも、この案件は取締役が移籍してくる前から進行していたものだからだ。
「俺が」タイプが長続きしない理由
ここまで極端な人は珍しいかもしれないが、ちょっとしか関わっていない件でも自分の手柄のように言う上司は珍しくないだろう。そして言うまでもなく、こういうタイプの人は失敗については「私の関与」をなるべく否定する。「秘書のせい」「部下のせい」である。
下で働く者としては、たまったものではないのだが、幸いなことに、このタイプの上司は短命に終わることが多い、と桃野さんは同書で指摘している。実際に、件の取締役も大した成果を上げられずに、短期間で辞任に追い込まれたという。
なぜか。改めて桃野さんに聞いてみた。
「部下の成果を自分の手柄にするような上司、あるいはプロジェクトは俺が成功させたと吹聴するようなリーダーは、優秀なリーダーにはなれません。
もちろん実際にその人が手腕を発揮した場合もあるでしょう。それでもそういう言動をする時点でリーダーの資質に欠けると思います。
当たり前のことですが、自画自賛するような人の言葉をそのまま信じる人が、大人の社会にどれだけいるでしょうか。どちらかといえば、自慢すればするほどうさん臭いと思われるだけでしょう。
仕事の成果は部下や上司など他人に気持ちよくくれてやるくらいのほうが、自分への“投資”として正しいのです。
ほとんどの仕事は、1対1で勝負を挑む“天下一武道会”ではありません。腕力自慢のトップ1人と社員10人の組織よりも、10人の優秀な社員を気持ちよく働かせることができるトップ1人のほうが強いのが、組織力というものです。
自分の手柄を自慢する人は、この根本を理解できていないのですから、すぐに限界が来るのも当然でしょう」
成功者は謙虚
桃野氏が理想的なリーダー像として挙げているのが、アメリカの鉄鋼王にして大富豪のアンドリュー・カーネギーや日清戦争時に日本陸軍の少将だった児玉源太郎だ。
「一代で財をなしたカーネギーですが、自伝には自慢めいた話は一切ありません。他者への感謝が延々と語られるのです。彼が自分の死後、墓碑に刻んでほしいと周囲に語っていた言葉があります。
“己より優秀な人間の協力を得る術を心得し者、ここに眠る”
(原文は、“Here lies a man who knew how to enlist in his service better men than himself”
カーネギーホール公式サイトより)
児玉は日清戦争の時に、中国大陸から戻る帰還兵の検疫責任者を任された人物です。この時、現場責任者の後藤新平に対して、『苦情は全て、俺が受け止める。責任も全て、俺が取る』と言い、『やるべきことを徹底的にやれ』と命じました。
そしてプロジェクトが終わった日に、児玉は後藤に対して、
『これはお前の勲章だ。誇りに思え』
と告げたのです。実際には当時、後藤のやり方に対して多くの批判が寄せられていたのですが、それをすべて児玉が受け止めて、後藤を守り続けていたのです」
身近な上司はもちろん、自民党の幹部らにこれを求めるのはあまりに青臭い話だろうか。
第74代総理大臣、竹下登氏は繰り返し、「汗は自分でかきましょう。手柄は人に渡しましょう」と口にしていたというが――。