【追悼】「ジョン・レノンもほれた才能」 エリック・カルメンさんの色あせないメロディー

エンタメ

  • ブックマーク

商店街の庶民的な店で食事を

 79年、ヤマハ音楽振興会が主催する世界歌謡祭にゲストとして初来日。東京で乗ったタクシーの車内でラジオからモーツァルトが流れ、クラシックが普通に聴かれていると驚きうれしく思ったとは、エリックさんらしい逸話だ。翌80年、中野サンプラザなど全国7カ所での公演は大盛況。

 80年代は、映画の挿入歌の作曲や歌唱で活躍するが、人気は低迷。98年に13年ぶりにオリジナルアルバムを出し、宣伝のために来日した。スターを気取るふうもなく、商店街の庶民的な店で食事を楽しんだ。

感動を呼んだ名シーン

 曲の人気はひとり歩きしていた。2001年、映画の「ブリジット・ジョーンズの日記」で、ラジオから聴こえてきた「オール・バイ・マイセルフ」に主人公がひとりぼっちのわが身を重ね合わせ、涙ながらに熱唱する場面が絶賛される。孤独を歌った曲と誰もが知るからこそ、そのシーンは感動を呼んだ。同曲はフランク・シナトラをはじめ、セリーヌ・ディオンら多くの歌手にカバーされてきた。

 2000年代に入り元ビートルズのリンゴ・スターのバンドに参加したのはエリックさんならではだった。

 現地時間の3月11日、妻がエリックさんのホームページに逝去を公表。死因や日付は伝えられていないが、週末に眠ったまま息を引き取ったという。享年74。

「日本では女性を中心に長年の熱心なファンがいます。聴くと何十年たってもその当時に戻れる気がする、と話すほどです。曲が力を持っていました」(山本さん)

週刊新潮 2024年3月28日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。