「不適切にも」モヤモヤが残った最終回…意外な幕切れに、クドカンは視聴者に何と言うか

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寛容のパラドックス

 昭和に戻った市郎が昭和の乱雑さを、令和に戻ったフェミニストの社会学者・向坂サカエ(吉田羊)が令和の息苦しさを訴えたのも、寛容と不寛容のバランスが大切というメッセージだ。それはセクハラ教頭の不寛容発言に飲み会ボイコットという不寛容で立ち向かった市郎の姿や、サカエの「寛容と甘えは違います」という台詞からもうかがえる。特に口うるさいコンプライアンス部長の栗田がテレビ局の組織防衛という面からは欠かせない存在であることも強調されていた。

 クドカンが描いた不寛容な社会は近年の重要なキーワードになっている。2017年に刊行され話題となった『不寛容社会』 (ワニブックスPLUS新書)で元国連専門機関職員の著者・谷本真由美さんは社会に不寛容が充満している理由について「自分以外の『誰か』のせいで、『自分の人生が侵されている』と感じている人が多くなってきている。こうしたストレスフルな空気の中で、政治家や芸能人を、ネット上で叩いてスカッとする日本人が増えているのではないか」(43頁)と考え、「日本人は心の持ち方を変えていく必要がある。価値観や世界観の違う人たちに寛容であること。大雑把に大胆に生きていけば他人のことは気にならなくなる」(203-7頁)と論じている。今回のクドカンのドラマはそのような不寛容さへの問題提起がベースにあるのだろう。

「タイムパラドックス」と「寛容のパラドックス」が巧妙に織り込まれた最終回。あまりにも意外な幕切れに唖然とする視聴者にクドカンはこう言うに違いない。「寛容が肝要です」と。

烏丸侑李(からすま・ゆり)
カルチャーコラムニスト。東京大学大学院修士課程修了(文学修士)、同博士課程単位取得満期退学。専攻は文化人類学、メディア比較論。首都圏の国立大と私立大での講義歴多数。

デイリー新潮編集部

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