勾留中にがん判明で死亡した大川原化工機元役員 「拘置所の医師に治療義務違反はない」の判決に遺族は「このままでは終われません」
拘置所での医療はずいぶん違う
相嶋さんは20年3月に逮捕され、その年の9月末に貧血で倒れて拘置所内で輸血を受けた。10月6日、医師の検査で胃に悪性の腫瘍が判明。このため高田弁護士は再三、地裁に保釈申請したが却下され続け、11月になってようやく勾留の一時停止が認められ、横浜市内の病院に入院することができた。しかし、治療は手遅れで、翌21年2月7日に亡くなった。
東京地検が異例の「起訴取り消し」を行ったのはその年の7月。相嶋さんは生存中に汚名を晴らせず、「刑事被告人」のレッテルを貼られたまま亡くなったのだ。
在りし日の相嶋さんの写真を机に立てて会見に臨んだ長男は、拘置所での医療と一般の病院での医療を受けた患者の生存率の差異を示すグラフを見せた。
その上で「拘置所では(一般的な意味の)医療がなされていないと思います。一般社会で病気になった人への治療と、拘置所での医療がずいぶん違う。そのことを裁判所が追認してしまった。拘置所側の考察が非常に浅い」と批判した。
会見を見守っていた相嶋さんの妻は「どうして主人は死ななくてはならなかったのか。このままでは終われません。真相がわかるまで闘いたいです」と話した。
信念を曲げなかった相嶋さん
原告側は拘置所の不適切な医療と相嶋さんと死亡との因果関係も争点にしていたが「判決は処置が適法とするだけで因果関係までいかずに済まされてしまった」と高田弁護士は不満を表した。
相嶋さんの勾留期間は11カ月。この間、8回の保釈請求はすべて退けられた。嫌疑を認めれば釈放されるが、認めなければいつまでも勾留する。相嶋さんは絶対に信念を曲げず、「不正輸出」の容疑を認めなかった。まさに被疑者、被告人を長期間勾留し、身体を人質にして自白を引き出そうとする「人質司法」を地でゆく悲劇だった。
高田弁護士は「ひとたび拘置所に入れられれば、一般的な水準の医療を受けられないばかりか、自分の健康情報にアクセスすらできない。お金があろうがなかろうが拘置所では関係ない。誰でもこういうことになる可能性があるんですよ」と話した。
検察側が保釈させない理由は、口裏合わせなどの「罪証隠滅」があるからだ。大川原社長、相嶋さんとともに逮捕された元取締役の島田順司さん(70)については、関係する社員と接触しないという条件で保釈を認めようとしたが、別の裁判部が「口裏合わせをする疑いがある」として認めなかった経緯もあったという。
もう一つは「逃亡」である。重病人の相嶋さんが逃亡することはありえないが、審理の過程で東京地検は日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の国外逃亡も例示して保釈に反対していた。
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