ブライアントの“認定本塁打”に、松永浩美のサヨナラランニング弾 ファンが驚愕した「歴史的珍ホームラン集」
ブライアントの放った「認定本塁打」
お次はこれまたNPB史上初の認定本塁打を紹介する。1990年6月6日の日本ハム対近鉄、驚愕の珍事が起きたのは4回の近鉄攻撃中だった。
3点を追う近鉄はこの回、先頭のラルフ・ブライアントが角盈男の4球目、外角低めスライダーを鋭くとらえた。ポーンという音とともに高々と上がり、バックスクリーン目がけて飛んでいった打球は、本塁からセンター方向に約80メートル、東京ドームの天井中央最深部部に吊り下げられた地上からの高さ44.5メートルの巨大スピーカーの右端下部を直撃したあと、センターと二塁の中間地点に落下してきた。ここまで打球が飛ぶのは、設計上あり得ないとされていただけに、打ったブライアントもしばし呆然……。
審判団が協議し、東京ドームの特別ルールにより、史上初の認定本塁打となった。推定飛距離はなんと170メートル。五十嵐洋一一塁塁審も「もしスピーカーがなければ、スコアボードまで飛んでいっただろう」と証言した。
前日の日本ハム戦でも7回にドームの天井を直撃する“珍二飛”を記録していたブライアントは「パワーの秘密?生まれつきだよ」と豪語した。
一方、歴史的な認定弾を献上し、「あそこまで飛びますかねえ。変なところで名前が残る」とはにかんだ角は試合前、天井のスピーカーに打球を当てるのは不可能だと考え、「自分が投げてるときにこんなもんに当てられたら引退するよ」と宣言していた。
「そのあと、試合前の僕の言葉を聞いていた連中が、お前、引退するんじゃないのって(笑)。うるさいって言ってごまかしましたけど、それ以来、そういうことを軽々しく言うのはやめようと(笑)」(宇都宮ミゲル著「一級の記憶」朝日新聞出版)。
この日は5対2とリードの6回途中に勝利投手の権利を得て降板も、リリーフ・武田一浩が8回に同点を許したことから、シーズン初勝利も逃してしまった。
「ちょっと休ませてよ。ハア、よう走った」
スタンドまであと20センチ届かなかったにもかかわらず、サヨナラ本塁打を記録したのが、阪急時代の松永浩美である。
1984年9月16日のロッテ戦、5対5の同点で迎えた9回裏、阪急は5番・松永が左中間に本塁打性の大飛球を放ったが、惜しくも20センチ届かず、西宮球場のラッキーゾーンの金網を直撃した。
だが、ボールが外野を転々とする間に、松永は100メートル11秒台の俊足を飛ばし、一塁、二塁を回る。
そして、大熊忠義三塁コーチの手がグルグル回っているのを見た松永は、一気に本塁に突っ込み、果敢にスライディング。返球よりも一瞬早くセーフとなり、まさかのサヨナラランニングホームランとなった。
生還後、「ちょっと休ませてよ。ハア、よう走った」と息を切らしながらベンチにどっかりと座り込んだヒーローは「入ると思って、最初ゆっくり走っていたから、一塁を回ってからが大変。大熊さんが手を回しているのを見て、“やめてくれ”と思ったぐらい。ランニングホームランなんて生まれて初めてですわ」と激走の賜物に気を良くしていた。
この話とは逆に、1979年5月6日のヤクルト対阪神では、ヤクルト・船田和英の左越えの飛球を、ラインバックがフェンスをよじ登って捕球後、グラウンドに落下した際に落球。“柵越えのランニングホームラン”の珍事となった。
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