「甘すぎる」時代に阿部慎之助が巨人軍新監督に抜てきされたワケ 思い出す「衝撃の一発」事件(小林信也)

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愛情表現?

 この“事件”への世間の反応はおおむね歓迎。理屈抜きに澤村を一変させた兄貴・阿部に快哉を叫ぶファンが多かった。思えばこれが、阿部が自らのリーダーシップを世に知らしめ、監督候補にのし上がった“覚醒の時”だったのかもしれない。

 日刊スポーツは頭をたたくに至る経緯も紹介している。

〈集中すると周囲が見えなくなる沢村を、どう制御するか。シーズン中から悩みの種だった。「声を掛けてもなかなか…」と、三塁を守る村田に相談した。(中略)

 言って分からないなら、どうしたらいいかなぁ。

 たたいて分からせたのは阿部なりに考えた愛情表現だった。〉

 現在ならどうだろう。ギャグにも見える程度の暴力も、それを容認したら世間が許さない。だが、わずか数秒しか猶予のないピンチの場面で他にどんな特効薬があるのか。スポーツ界全体が共有する難問だ。

 そんな時代に、巨人は阿部を監督に抜てきした。また、あれをやるかもしれない。内心、期待するファンがいないとも限らない。公言はしないが、「あれくらいは必要だ」と叫びたくてうずうずしているスポーツ指導者はきっといる。私は暴力を肯定しない。が、“厳しさ”は必要に決まっている、いまはちょっと甘すぎないか?とも感じている。

 TBS系の金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」が話題だ。中学教師で「けつバットも当たり前」の野球部監督・小川市郎が1986年から現代にタイムスリップする。現代の過剰とも思えるコンプライアンスを揶揄しながら、笑いの中で考えさせる。

 巨人が同じ意図を含んで小川市郎ならぬ阿部慎之助を監督に送り込んだのなら、今季の巨人は面白くなりそうだ。さながら「ふてほど」のリアル野球版が連日展開されたら、敵チームとの攻防だけでなく、気合とコンプライアンスの対決にもファンは胸躍らせるだろう。

最初は投手だった

 私が阿部を知ったのは彼が中央大学4年になる頃。シドニー五輪日本代表候補となり、日本ハムのキャンプに参加してエース岩本勉からバックスクリーンにホームランを打って話題となった。後に、長嶋巨人の陰の参謀とも呼ばれた井上浩一スコアラー(当時近鉄)が教えてくれた。

「阿部は高校時代、最初は投手だった。『捕手にした方がいい』と高校の監督に進言したのは私なんですよ」

 井上は目を細めた。打撃とキャプテンシーの将来性を見抜いた名参謀の進言。捕手転向が阿部の野球人生を大きく変えたに違いない。

 プロ入り後の阿部の実績は非の打ちどころがない。

 01年、巨人の新人捕手では23年ぶりの開幕スタメン。初打席初安打初打点を記録。その年は127試合に出場し本塁打13本。盗塁阻止率も.353とまずまずだった。4年目には開幕からわずか33試合で20本塁打を打ち、当時20本までの世界最速記録(マーク・マグワイアの35試合)を更新した。生涯成績は打率.284、406本塁打。

 巨人は開幕戦、東京ドームに昨季の覇者・阪神を迎える。誰もが緊張しがちな試合、阿部監督の一発、いや新たな気合注入が出るか、出ないか。妙なところに関心が高まる。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年3月28日号掲載

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