日本球界で不滅の大記録! “12年連続開幕投手”になった「山田久志」の凄すぎる成績を振り返る!
「毎年投げるまで怖くてたまらない」
だが、80年の開幕戦(ロッテ戦)は、オープン戦で打球を右上胸部に受け、調整が遅れた影響で、3点リードの9回に味方のエラーをきっかけに同点にされ、5対5の引き分け。雨で開幕が2日延びた81年も、5回に連続四球をきっかけに失点するなど、近鉄に0対3で敗れ、開幕戦連勝記録は「5」で止まった。
「毎年投げるまで怖くてたまらない。前夜は寝つきも悪く、酒を飲んで紛らわせたこともある」という山田にとって、開幕戦は緊張感との戦いでもあった。
80、81年はいずれも13勝に終わったが、約3年かけて磨き上げたスライダーが新たな武器に加わった82年は、3年ぶりの開幕戦勝利を挙げるとともに、16勝を記録した。84年の開幕戦でも勝利投手になり、チームも6年ぶりの優勝。
さらに日本球界初の12年連続開幕投手を達成した86年の開幕戦では、ロッテ・村田兆治との投げ合いを制し、通算9勝の鈴木啓示に次いで歴代2位の8勝目を手にした。
「苦しかったけど、いい仕事ができたと思う」と達成感に浸った山田だったが、5対0の8回、落合博満に右越え2ランを許したことを「打たれていけない打者に打たれてしまった」と悔しがった。この時期の山田は、球界を代表する強打者になった同郷(秋田)の後輩との対決に生きがいを感じ、スーパールーキー・清原和博(西武)との対決も楽しみにしていた。
17年続いた「二桁勝利」が途切れて
そして、翌87年は、トムー・シーバー(メッツなど)を更新する当時の世界記録、13年連続開幕投手がかかっていたが、38歳になった山田は、オープン戦で防御率9.00と調子が上がらない。コーチ会議でも、開幕投手に佐藤義則を推す声が出た。そんな空気を察した山田は、自ら上田利治監督に「別に僕じゃなくてもいいですよ。他の投手を指名してもらっていいですよ」と伝えた。内心「お前しかおらん」の言葉を期待していたが、返ってきた言葉は「そうか。そうしてくれるか……」だった。「『山田』という投手の起用法について、上田監督と理解の食い違いが出た」(自著「プロ野球 勝負強さの育て方」 PHP文庫)という瞬間だった。
4月11日の南海戦、開幕2戦目に先発した山田は、ベテランらしい巧みな投球で4安打1失点完投勝ち。だが、「開幕(戦)で投げていても、抑えることができたでしょう」の言葉からも、やるせない思いが伝わってきた。
これで心の張りを失ったのか、同年は7勝7敗。17年続いた二桁勝利も途切れ、翌88年を最後に20年間の現役生活に別れを告げた。
それでも山田は「300勝にあと16を残してやめることになったけど、まだピッチングには、わかりかけていてわからない部分が多い。それをつかみ取るまで投げ続けたかった」(『魔球伝説』 文春文庫)とあくなき探求心を口にしている。
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