「障害者の支援や市議選への出馬」「公務員として地元に貢献」 土性沙羅と小鴨由水、二人の女性オリンピアンが明かした「第二の人生」

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市議選で次点に

 2010年、当時福岡に住んでいた、視覚障害のランナーの道下美里さんが伴走者の依頼をしてきたことも。フルマラソンのタイムを上げたいという話で、小鴨さんは約1年担当した。その後の活躍は周知の通り。見事、東京パラリンピックで金メダルを取った。

 前記の重松さんと、彼の秘蔵っ子・吉冨博子選手と三人で立ち上げたのが「ファーストドリームAC」だ。

「実業団チームの廃部や出産、けがでフリーとなった女性ランナーが一緒に走って夢を実現するクラブをつくったんです。私はキャプテンでしたが、フルマラソンで3時間を切る選手が、私を含め8人ほどでました」

 それ以外にも市民ランナーを個別に指導する活動をし、西日本短期大学では非常勤講師を務めつつ駅伝部監督としても活躍、22年にはコンピュータ教育学院に陸上部を創り、監督に就任している。

 また19年、福岡市議会議員選挙に担ぎ出され次点になったり、私生活では夫と離婚、その後に死別という経験もした。

「バルセロナ五輪を辞退しなくてよかった」

 これまでの紆余曲折を、小鴨さんはこう振り返る。

「多くはオリンピアンだからこそできた経験です。人間関係でも重松さんなど、五輪関係で知り合った人はたくさんいるし、支えてくださった。つくづく思います、バルセロナ五輪を辞退しなくてよかったって」

 スポーツで得た経験は人のために生かされ、自らが生きる力になって戻ってきた。やはり小鴨さんも土性さんと同じく、人を通じて「並行して走る人生」へとレーンを変え、苦難を乗り越えてきた。

 そのしなやかさは、どんな器に注がれても自在に姿を変えられる水をイメージしてつけられた「由水」という名前を体現したものになった。

 小鴨さんは今春、息子二人と故郷明石市に帰る。父親が亡くなり、母親が独り暮らしになったからだ。福岡の活動は、小鴨さんが福岡に通いながら継続したり一部は人に任せたりするという。

 五輪の価値は、オリンピアンが「並行して走っていた人生」を生きる姿によって輝きを増すのである。

西所正道(にしどころまさみち)
ノンフィクション・ライター。1961年奈良県生まれ。京都外国語大学卒業。著書に『東京五輪の残像』『「上海東亜同文書院」風雲録』『絵描き 中島潔 地獄絵1000日』など。

週刊新潮 2024年3月28日号掲載

特別読物「辛いのは“練習”か“世間か”――『女性オリンピアン』が語る『第2の人生』」より

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