「障害者の支援や市議選への出馬」「公務員として地元に貢献」 土性沙羅と小鴨由水、二人の女性オリンピアンが明かした「第二の人生」

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「“走って配達したら”と冗談を言うお客さまも」

 99年に駅伝部は休部になりフリーに。前年にパン職人の男性と結婚し出産。以降、競技から完全に離れ、それまで体験しなかったことに取り組む中で「走ること」や「オリンピアン」の価値に気付かされる。

 フリーのランナーになったとはいえ、小鴨さんにはマラソンイベントや講演への出演依頼が毎月のように舞い込んだ。走る練習を続けるために小さな子どもを保育園に預けたいが、仕事に就いて一定時間働く必要がある。ただ、子どもが熱を出した際などに休みをとりやすい職場はなかなか見つからなかった。そんな時、ママ友がヤクルトレディとして働いていたので仕事内容を聞くと、条件に合致した。

「イヤだったらやめればいいと思って始めたんですが、これが面白かったんです。五輪に出たことを知ってくれている人がたくさんいまして、バイクで配達する私を見て、“走って配達したら”と冗談を言うお客さまがいたり。いろんな会話ができるし、知り合いが増えて楽しかったです」

 次男を出産後は食材セットや調理済食材の配達に切り替えた。保育園に預けられない下の子を自動車に乗せて仕事ができたからだ。

同じ目線で観察すると明確な対応が可能に

 その一方で、もう一つ新しい世界を知ることに。福岡市立障がい者スポーツセンターで働くことになったのだ。障害者の夫をもつ友人からの紹介。腕や脚を欠損するなど運動機能を失った人がリハビリする手助けを行う仕事である。

「みんな必死で良くなろうと頑張っているんですね。相手がやる気になってくれたらこちらもモチベーションが上がる。役に立てていることがうれしかったです」

「初級障がい者スポーツ指導員」の資格も取った。

 その経験が評価され、同センターから知的障害者のランニング教室を依頼される。風邪を引きにくくなった、集中力がでてきた、と利用者の評判を呼び、教室のサービス期間が終わってからも、個人的に「かものこクラブ」を設立し、活動を継続したのである。

 42.195キロをリレーで走る大会に一般ランナーに交じって出場し10人で完走したり、フルマラソンのランナーも育ったりした。

「知的障害の子たちには伴走者が付くことが多いのですが、言葉が通じにくい子、こだわりが強い子でも、観察すると何がしたいかを感じるんです。上からではなく同じ目線で観察すると的確な対応ができて、一緒に走ってくれました」

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