「障害者の支援や市議選への出馬」「公務員として地元に貢献」 土性沙羅と小鴨由水、二人の女性オリンピアンが明かした「第二の人生」
「心が燃えなくて……」
だがそれ以降、けがに泣かされる。リオ五輪の選考会で左肩を亜脱臼し、それを繰り返していたのだ。世界選手権優勝の翌18年に手術に踏み切るが、
「手先に痺れが残ったり、お茶碗を持てなかったり、感覚が鈍ったりしました。私の武器は正面タックルですが、亜脱臼の再発が怖くて飛び込めませんでした」
東京五輪は何とか出場権を手にするも、結果は5位。五輪後に大学時代の同級生と結婚し、心機一転パリ五輪を目指そうとしたものの、
「けがの回復が思わしくなくて心が燃えなくて……。引退だなと思いました」
ただ、と続ける。
「応援してくださった松阪市の皆さんに恩返ししたい気持ちがありました。すると22年の夏に母からLINEが来まして、松阪市が社会人経験者の職員を募集するよと。公務員は(セカンドキャリアの)イメージになかったのですが、地元への“恩返し”ができると思い、応募しました」
面接では「五輪などの経験を生かしてスポーツを盛りあげたい」と伝えたところ、見事採用に。23年4月、松阪市教育委員会スポーツ課に配属された。
間もなく、知名度抜群の土性さんが主体となり展開する「伝えたい!スポーツのチカラプロジェクト」が動き出した。
緊張で汗だくに…
まず行ったのは小中学校での出前授業だ。
夢や目標があったからこそ頑張れた、という自分の体験を1時間弱話す。
「実は私、人前で話すのがホントに苦手で、ずっと避けてきたんです。でも子どもたちが夢をもつきっかけになればと、緊張で汗だくになりながら話しました」
子どもたちの前でタックルの実演をしたり、金メダルを触らせたりと工夫を凝らした。年間22校回る予定だったが、半分を終えた頃から楽しくなってきた。
「これは私にとって一番の成長ですね。夢も目標もなかった子が、“小さい目標からやってみようと思う”と感想を書いてくれたり、手応えもありました」
ひたすら自己と向き合うアスリートにして、いや、アスリートだからこそ、人との触れ合いの中で新たな道、並行して走る人生に気付くのだろうか。
このプロジェクトでは、たとえば市行政ユーチューブチャンネルで、地元アスリートやジュニア選手と作る「土性沙羅のスポーツのチカラ応援ch」に出演。またSNSでもスポーツの魅力を発信している。そうした町づくりの取り組みがスポーツ庁の目に留まり、昨年11月、「スポーツ・健康まちづくり優良自治体表彰」を受賞した。
24年度は、市の健康づくりセクションと共同で、料理や高齢者への運動教室を展開していくという。
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