「電車男」の“2ちゃんねる”登場から20年…大ヒットがもたらした「オタク文化」の激変期を振り返る

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一つの書き込みが社会を変えた

 2004年3月14日に、匿名掲示板2ちゃんねるに書き込まれた「すまん。俺も裏ぐった。文才が無いから、過程は書けないけど。」という一言が、その後の日本文化を変革するきっかけになった。電車の中で酔っ払いに絡まれた女性を助けたことを報告した主は、オタクで彼女もいないサラリーマンの男性。数日後、女性からエルメスのティーカップが届く。そして、ネット住民の力を借りて、めでたく恋を成就させたのである。

 一連のストーリーについては自作自演説もあり、マスコミがブームを煽るために仕掛けたやらせなのではないか、など様々な憶測も生んだ。しかし、それがフィクションであろうとノンフィクションであろうと、一人のオタク“電車男”とネット住民が起こした“奇跡”は爽やかな感動を呼び、当時、一般層にも普及しつつあったネット発の純愛物語として話題になった。

 その書き込みを読みやすく整理した、いわゆる「まとめサイト」が作成され、それを単行本化した『電車男』が新潮社の編集者・郡司裕子氏の編集で、同年10月22日に発売。され、105万部に達するベストセラーになった。コミカライズ(あの「弱虫ペダル」の渡辺航が担当した作品もあった)、映画化、ドラマ化がなされ、まさに社会現象と呼べるブームを巻き起こした。

 このヒットがその後のオタク文化に与えた影響は、功罪様々な観点から議論されている。少なくとも、オタクとはこういうもの、秋葉原とはこんな町、というイメージを一般人に植え付けた意味で、「電車男」は画期的であった。日陰の存在だったオタク文化が一般層に知られるようになり、その後の一般化、カジュアル化を急速に進めた作品だったといえる。

秋葉原が観光地になった

 日陰、という言葉で表現したように、それまでのオタク趣味は、基本的には内輪で楽しむものだった。また、1988~89年にかけて起こった宮崎勤事件の後、マスコミによってオタクは犯罪者予備軍であるかのようなイメージが流布され、オタク趣味を公言するのが憚られる空気が存在していたのも事実だ。

 ところが、『電車男』のヒット以後、良くも悪くもオタク趣味がオープンな存在になり、一般人との距離が接近していったのである。特に、オタクの聖地といわれていた秋葉原が、一気に観光地化したことは大きな変化であった。「電車男」の映画やドラマのロケで使用されたことで、一般客が“聖地巡礼”に訪れるようになったのだ。

「電車男」がヒットする前の旅行ガイド「るるぶ」を開くと、秋葉原に関する記述はほとんどない。その後は誌面が割かれるようになり、メイドカフェまで掲載されるようになった。テレビやワイドショーでも秋葉原のカルチャーが盛んに取り上げられ、TVチャンピオンでは「アキバ王選手権」や「コスプレ王選手権」が開催され、お茶の間にも濃厚なオタクの生態が届けられた。

 メイドカフェも観光スポット化した。2005年に「萌え~」が新語・流行語大賞トップテンに選ばれると、秋葉原のメイドによって構成される「完全メイド宣言」が授賞式に出席。なかでも、有名な「@ほぉ~むカフェ」は旅行ガイド本に掲載されるようになり、“カリスマメイド”のhitomiはその後、情熱大陸に出演するほどの知名度を得ている。

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