「うちで働いていた頃は…」 水原一平氏が勤めていたすし店のオーナーシェフが明かす“素顔”
「うちで働いていた頃は…」
うそにうそを重ねて自業自得とはいえ、まさしく踏んだり蹴ったりの水原氏は、北海道・苫小牧の出身。6歳の時、すし職人だった父・英政さんがロサンゼルスで板前を始めるため一家で渡米した。学生時代はサッカーに打ち込む一方、1995年にドジャースに入団した野茂英雄氏に憧れ、将来は野球関係の仕事に就くことを望んでいたという。水原父子と親交のあるロスのすし店「古都」のオーナーシェフ・松木保雄氏は、
「小さい頃から一平君を知っているし、学校を出て20代の初めの頃も、うちでアルバイトをしてもらったことがあるから、今回のことは他人事ではないと感じています」
そう前置きしながら、
「うちで働いていた頃は、将来を模索していました。それで手に職をつけようとしたのでしょう、お父さんから『カジノのディーラーを養成する専門学校に通っている』と聞いていましたが、すぐに辞めてしまいました。きっと性に合わなかったのでしょう。今回は賭け事が問題になっているけど、当時から本人にギャンブルの影を感じたことは全くない。連絡も一切なく、心配しているのですが……」
「病的なギャンブラーだった」
ESPNのインタビューで水原氏は「妻はこのことを今に至るまで一切知りません」と語っていた。先のジャーナリストは、
「今回、水原氏が負け込んでいた賭博業者のボウヤーは、連邦捜査当局がマネーロンダリングや元マイナー選手を巻き込んだラスベガスの違法賭博事件を捜査する中で浮上しました。昨年10月には自宅に捜索が入り、現金やパソコンとともに、ブライトリングの腕時計やシャネル、エルメスなどの高級バッグも押収されています」
水原氏にはすでにIRSが捜査を始めている。自身が関与したのはあくまで違法賭博だが、それはマフィアが暗躍しているマネーロンダリングの一角を占めているわけだ。
「ボウヤーは大谷とは会ったことも話したこともないとしながら、売り上げを増やすためラスベガスの賭博仲間には大谷とのつながりを吹聴していた。ボウヤーの弁護士は『ワシントン・ポスト』紙の取材に、3年で6億円以上の負債を作った水原氏を『病的なギャンブラーだった』と評しながら、エンゼルス時代の年俸が6ケタ(1500万円)以下だった通訳に多額の後払いを認めた理由については『大谷の親友だったから』と答えています」
水原氏は丸裸にされていた。そして被害者の大谷は、知らぬ間にアウトローたちの金づるになっていたのである。
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