かたく握ったピート・ハミルの手――「もう、寂しくないね」の言葉に深く安堵した理由とは
映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として広く知られ、アメリカでは反骨を貫くジャーナリストとして、またコラムニスト、小説家として一世を風靡したピート・ハミルさん。かつてはプレイボーイとまで呼ばれた人だった
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一方、「ニューズウィーク日本版」創刊のためニューヨーク支局で働くことになった青木冨貴子さん。運命の糸に手繰り寄せられるかのようにピートさんとの仲を深め、大恋愛のすえにプロポーズを受けることに。「一生、君に誠実であることを誓う」。ピートさんは真剣な表情で青木さんの目を見つめるのだった――。
※本記事は、青木冨貴子氏による最新作『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部を抜粋・再編集し、第10回にわたってお届けします。
新居を探してドライブ
1987年、よく晴れた5月の日曜日。結婚してから住む家を探すために、ピートの運転するダットサンで郊外へドライブに出た。
「まあ、とりあえず北のほうを目指していくことにしようか」
それまでにマンハッタンのアパートやロフトを何軒か見てまわったが、倉庫にしまってあるピートの大荷物を収納できるアパートを見つけるのは至難の業(わざ)だった。郊外に家を買ったほうが良さそうだという結論に達したが、郊外といってもどこへ行ったら良いのだろう。
「ぼくは犯罪のないところは知らないんだ」
新聞の仕事で暴動や殺人の現場へは何度も駆けつけたが、郊外の街に関してはまったく知らないとピートはいう。わたしはマンハッタンからあまり遠くへ行きたくないと思っていたが、車はナヤック、ニューシティなどロックランド郡を抜けるとハドソン川に沿って走る高速道路、インターステート87号線を北へ向かった。
「そうだ、ニューポルツには、フロイド・パターソンのジムがあった」
ピートが突然、ボクシングの取材で行ったことのある街を思い出した。ウッドストックの20マイルほど南になるという。
佇まいの古い農家に心惹かれる
ハイウエイを下りると、10年前にはヒッピーが住んでいたような街に着いた。はるか彼方に山並が広がり、空気が澄んでいてクリーンだし、オーガニックの野菜などを売っているマーケットもある。ここには州立大学があって、学生が多い閑静な大学街だった。メインストリートにはレストランや銀行ばかりでなく、大きな本屋もある。
ニューポルツの雰囲気はわたしの好きな60年代のアメリカみたいだった。こんなところだったら、住んでも良いかもしれない。すっかり気に入ったわたしたちは不動産屋へ飛び込み、近くの一軒家を見せてもらうことにした。
3軒目の家は古い農家だった。門から母家まで300メートルくらいもあって、その手前には朽ちかけた広い馬小屋があり、家の前には湧き水による大きな池が広がっていた。
「まるでアイルランドみたいだ!」
ピートは見るなりこう叫んだ。ここはニューヨーク州アルスター郡ウオールキルという街にある田園で全敷地は62エーカー(約7万6000坪)。ピートの両親の出身地、ベルファスト(アルスター地方)と同じ郡の名前であることもピートを喜ばせた。池のまわりの広い緑の芝生やうっそうと繁る木々を見れば、いかにも緑の国アイルランドを思い起こさせる。
家は古い3階建で、キッチンの梁には1803という数字が彫り込まれてある。家を建てた年だろう。アメリカの独立宣言からたった27年後に建てられた農家。天井が低くて階段の幅も狭いのは、かつてここで生活した人々の佇まいまでを想起させる。
このあたりに入植したのはオランダ人だったという。「ウオールキル」の「キル」というのはオランダ語で川という意味だった。確かに近くには川が多くて水車が音を立てながら廻っていた。
わたしたちは購入を即決、家は全面改装することにした。近くにある鶏小屋に手を入れてピートの仕事部屋と資料室としてしばらく使うことにした。家の改装が終わったら、広い馬小屋に図書室や資料室、ふたりの仕事部屋を作ろうと夢は広がった。それまでの間、モービルハウスを借りて、そこにロングアイランドの倉庫の本や資料を入れておくというのがピートの考えた計画だった。
食うか食われるか…一抹の不安
この年の8月末で、わたしは3年に及んだニューズウィーク日本版の仕事を辞めてフリーランスのライターに戻った。支局の仕事はもう十分やって責任は果たしたと思った。結婚してからは自由に書きたかった。ようやく思うままにアメリカのリポートやニューヨークのことを書ける。
ピートもわたしに良い仕事をして欲しいと思っていたが、ふたりで生活するとなると、どこまで彼に振り回されることになるのだろう。
食うか食われるか、それが不安だった。
マンハッタンから1時間半以上かかるウオールキルに家をもつことは、かえってわたしの負担になるかもしれない。そうは思ったが、話はとんとん拍子に進んでしまった。家の購買手続きはオスカーというピートの長年の会計士にすべて任せた。
「お金はたくさん銀行に入っているから大きな家を買おう」といっていたピートだったが、「オスカーに会って聞いてみたら、思ったほど無かったよ」と肩を落としていた。
よくよく聞いてみると、ピートは財務管理や収支などすべて会計士に任せっぱなし。お金のことはほとんど把握しようともしていなかった。「月の予算はいくらくらい?」と聞いてみると、きょとんとした顔でオスカーに聞けという。
仕方なく事務所を訪ねると、オスカーはいかにも古い時代ものの帳簿を取り出してきた。横長のページにびっしり数字が載っている。蚯蚓(みみず)のぬたくったような文字はちっとも読めなかった。とはいえ、彼はピートが長年信頼してきた会計士ではないか。祝日にはクイーンズの自宅まで招待してくれて、手料理をごちそうしてくれたこともあった。
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