能登地震 「周囲は『案外大丈夫なんだ』と思っているかもしれないが…」妻子4人亡くした警察官(42)の消えぬ後悔

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子育てが終わったら…妻と語った夢

 3人の子どもに恵まれた。長女の優香さんは頑張り屋さんだった。

「あんまり運動神経がいいわけではないですが、マラソンなどに力を入れていて一緒に練習しました。そろばん、水泳など何でも真剣にチャレンジし、最近は小学校の合奏部で鉄琴(ヴィブラフォン)を弾くのが楽しみでした。優香はそろそろ反抗期の前兆もあったかな」

 長男の泰介君は運動神経がよくサッカーでも何でもやり、うまかった。

「私と野球もするようになりました。やんちゃですが気が優しく、私の誕生日にはお小遣いでトレーナーを買ってくれたんです。自分の物を買えばいいのに」

 末っ子の湊介ちゃんは、甘えっこで帰宅すると「高い、高い」をねだってくる。

「最近はアンパンマンより仮面ライダー。変身用のベルトのバックルなんかを大事にしていました。上2人がスポーツ系なので、『この子はピアノでも習わせようか』なんて妻と考えたりしていました」

 3年前、待望の一軒家を購入した。広い家で子供たちは大喜びだった。はる香さんとは「子育てが終わったら2人で旅行とか、買い物とかしような」と約束し合っていた。

 そんな夢も不安も、すべてが結婚から13年目の今年、一瞬で吹き飛んでしまった。

毎日、声に出して語りかける

 1月14日に葬儀・告別式が金沢市内で行われ、参列者は500人にも上った。

 喪主の圭介さんが参列者に向けた挨拶文を読んだ。想像もできないほどの辛い精神状況の中で書いたはずだが、感動的で無駄のない見事な内容だった。時折、声を詰まらせては隣に立つ義兄の匠さんに背中を叩かれて励まされていたが、実はその匠さんとて妻と両親、さらに祖父母も失っていたのだ。

 数々の取材を受ける中で、圭介さんは時折泣いていたが、筆者には涙を見せなかった。

「職場に復帰してからも普通にしているから、周囲は『案外大丈夫なんだ』と思っているかもしれない。でも1人になったらそうではありません。写真を見るのがつらくなって反対に向けてしまうこともあるんですよ」

 圭介さんは毎日、就寝前にその日の出来事を妻と子どもたちに声に出して語りかけている。災害でも生き残った人は「あの時」の行動を一生悔いることがある。圭介さんも大きな悔いが残っているという。

「1度目の地震が来た時、なぜ、みんなを家の外に出さなかったのかという後悔です。そうしていればあんなことにはならなかった。輪島市の市ノ瀬というところで、地震が来たらすぐに建物から飛び出す訓練をしているというのをニュースで見ました。余計に自責の念に苛まれたんですよ。でも人間って、前の年に地震があったからといって、もっとすごいことが自分に起きるとは思わないんですよね」と正直な感慨も語ってくれた。

「もうひとつは正月どこかに旅行でもしていれば、という思いも少しあります。でもそれは念頭になかったですね。妻の親や祖父母も、孫と一緒に過ごすことをすごく楽しみにしてくれていましたから」

 地震が元日に起きたことで、親戚の家などに帰省していた人が多かったことが被害を大きくした面もあるだろう。

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