能登地震 「周囲は『案外大丈夫なんだ』と思っているかもしれないが…」妻子4人亡くした警察官(42)の消えぬ後悔
サーモグラフィが反応
圭介さんは「助けてください」と叫び続けた。
「自分はパニックになるだけでろくに救助もできない。近所の人や親類が倒れた家の下敷きになっていた匠さんと奥さん、その子どもを何とか引きずり出しましたが、奥さんは亡くなりました。居間で土砂に巻き込まれた私の妻や子どもの声は聞こえませんでした」
救助は進まなかった。
「祖父(六男さん)の声がしていた。午後9時頃には、暗くなり、二次災害の恐れもあるので救助を中断しました。翌朝になって再開し、11時頃に発見された祖父は息がありましたが、ドクターヘリで搬送後に亡くなったんです」
88歳の六男さんは今も船で漁に出る元気者だったという。
1月3日の夜のことだった。
「親戚が持ってきたサーモグラフィが土中の熱に反応したんです。『えっ、生きているのでは』と一瞬、はかない希望も芽生えましたね。自衛隊に伝えて掘り進めたらその辺りに妻たちが見つかりました。妻が呼んだのか、あれは何だったのかなと思うんです」と天井を見上げた。
1月4日、はる香さんと優香さんを自衛隊が発見した。5日に泰介君と湊介ちゃん、よしいさんが遺体で見つかった。後日、春一さんが見つかった。
思い出したくないはずの辛すぎる話を圭介さんはしっかり語ってくれた。
妻はしっかり者でおっちょこちょい
圭介さんは珠洲市で豆腐や酒類を販売していた両親のもとに生まれ、飯田高校、県内の大学を卒業し、最初、精密機器メーカー・キヤノンの子会社に勤めた。しかし、「ノルマに追われる営業生活に疲れ果てて」公務員試験を受けて警察官になった。昨年から珠洲署の警備課長となり、家族が住む金沢市から離れ、単身赴任していた。
はる香さんは、圭介さんの妹が小中時代に所属していた珠洲市のバスケットボールチームのチームメートで、妹の1つ後輩だった。
「妹の応援に行ったりして顔を少し知っている程度でした」
ある時、石川県主催の自治体対抗のスポーツ大会があり、はる香さんたちはバスケット、圭介さんは野球の代表として参加した。大人になってから再会したはる香さんは魅力的な女性に成長していた。一目惚れした圭介さんは大会後、妹に「ちょっとつないでよ」と頼む。妹は驚いたが取り次いでくれた。付き合いが始まり、2011年に結婚した。
「沖縄旅行でプロポーズしました。4月の結婚式の少し前に東日本大震災が起きました。自粛すべきかと悩みましたが、上司が『それは別だから』と言ってくれたので結婚式を挙げました」
そして、「私は変わった性格で、時に気難しくもなり、妻は『私だからやってこれたのよ』と言ったりしましたね。しっかり者ですが、おっちょこちょいな一面もある明るい女性でした。保健師として働きながらの子育ては大変でしたが、しんどいことは外では絶対に言いませんでしたね」と感謝する。
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