水原一平氏の違法賭博問題をテレビ局はどう報じたか フジ記者の強引な取材と解釈に疑問

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見え隠れする安直さ

 相手はいきなりの訪問に明らかに驚き、嫌悪感を露わにしている。強引なドアホン越しの撮影と音声の録音は一種の“暴力”ではないのだろうか。

 もちろん報道の仕事では、事件にかかわった人から事情を聞くことで新たな事実がわかることがある。関係者を取材することがすべていけないとまで言うつもりはない。

 ただ、取材した映像などを放送するにあたっては、それが妥当なのかどうかを検討する必要がある。このケースでは、水原氏本人のコメントを取ることができないため、締切までに関係ありそうな人には誰でもいいから話を聞いてしまえ、という安直さが見え隠れする。

 水原一平氏の“違法賭博”疑惑には、両親は何の関係もない。もし関係あると考えてテレビが取材しているのならば、「親の育て方が間違っていたのではないか?」とする前時代的な処罰感情があるのではないか。息子がトラブルをしでかして衝撃を受けている両親に対して、テレビの「弱い者いじめ」にしか見えない。

 本人がコメントしないからと、肉親を取材しようとする安易さとデリカシーのなさ……。小さな子どもが被害に遭った凶悪事件で、両親に取材できないために遠くに住む祖父母のコメントを取る取材に似ている。

 実際にテレビニュースを見ていると、民放の夕方ニュースではこうした報道がときおり目につく。こうした行為が特にZ世代の若者たちには「報道の仕事って、弱って傷ついた人たちの傷口に塩を塗り込むようなものですよね?」という拒絶感につながっている。筆者の周辺でも、若者の「報道」に対する印象は悪化するばかりだ。

 相手のプライバシーを脅かすカメラの暴力……。だからテレビは「マスゴミ」などと言われるのではないか。水本記者のドアホン取材を見て感じた。

 案の定、SNSでは水本記者の取材に「マスゴミ」「迷惑系YouTuberと同じ」などと批判が集中した。FNNプライムオンラインは、今もネット上にこの取材の記録を残したままだ。

ワイドショーの「メディアスクラム」に取って代わり…

 かつて1980年代から2000年くらいにかけ、事件の被害者や加害者の親族などにテレビカメラが殺到するメディアスクラム(集団的過熱取材)が大きな問題になった。筆者の記憶では、主にワイドショー(情報番組)の取材がそうした強引な取材をやっていた。それこそ子どもが殺害された通夜の会場前でカメラが待ち構え、弔問客に片っ端からマイクを突きつけて「今のお気持ちは?」などと無神経に聞いていた。報道取材の研修や訓練を受けた記者ではない、素人の取材だと、報道畑の人間たちは思っていた。

 ところが、その後姿勢を改めたテレビ局は、事件事故などの現場に、そうした情報番組(ワイドショー)のレポーターをあまり行かせなくなった。結果、現在ではスタジオなどに専門家を招いてパネルで議論する形式が増えたが、反面、目につくようになったのが、ニュース番組を中心にした報道記者たちによる不祥事だ。

 こうした直接関係ない相手への強引なドアホン取材は極力やめるようにしたいものだ。マスゴミなどと言われないようにするためにも。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部

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