「大谷翔平」違法賭博問題で思い出される「新庄剛志」の受けたヒドい仕打ち

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新庄剛志が受けた「人種差別」

 ここで気になるのが、依然としてアメリカ社会に根強いとされる「人種差別」が、大谷選手を取り巻く環境をより厳しいものにしないか、という点である。もちろんアメリカもMLBも、差別は絶対に許さないという立場なのだが、理想通りにいかないのが世の常。

 わかりやすいのは、元MLBプレーヤーで現在NPB日ハムの監督を務める新庄剛志が受けた「人種差別」である。当時を振り返ってみよう。

 阪神からFA宣言して海を渡った新庄選手は2001年にニューヨーク・メッツでプレー。日本人野手としてMLBで初めて4番打者を務めるなど大きなインパクトを残すと翌02年シーズンにサンフランシスコ・ジャイアンツ(以下、SFジャイアンツ)へ移籍した。

 この頃のSFジャイアンツは、01年シーズンにMLB史上シーズン最多記録の73本塁打を叩き出したバリー・ボンズ外野手が「キング」として君臨。チームのクラブハウス内にはボンズ専用のソファとテレビが鎮座していたが、一方、このキングを激しく嫌悪していたのが、バリー・ボンズとともに打線の主軸を張りながら、ボンズとは犬猿の仲のジェフ・ケント内野手だった。

新庄ばかり取材するジャパニーズが

 この西海岸の伝統球団は当時、「クラブハウスの雰囲気はMLB球団の中でもワースト」とまで言われたが、実は、ケントがボンズに嫌悪感を抱いていたのは、ボンズの王様然とした振る舞いだけが原因ではなかった。

 米国在住の日本人メディア関係者はこう明かす。

「現地では、ボンズが黒人だったからともっぱら囁かれていました。ケントは“白人至上主義”的なところがあり、黒人のスーパースターであるボンズをとにかく毛嫌いしている、という見方です。白人選手らと徒党を組み、ラテン系の正捕手や日本人の新庄らも有色人種として“ボンズ一派”とみなし、ネチネチと見えないところで陰湿な嫌がらせを繰り返していたという話が伝わってきていました」

 実際、当時のケントは新庄番の日本人メディアが自分の囲み取材に入ってくると急にコメントをストップし、「新庄ばかり取材するジャパニーズが来たから俺はしゃべらない」「俺の前から今すぐ消え去ってくれ」などと言い放つことも日常茶飯事だったという。

 急増した日本人記者を迷惑に感じた、とも取れそうだが、彼の振る舞いはこれだけにとどまらなかった。さらに、チームスタッフを通じて日本人メディア一人ひとりに歯ブラシと歯磨き粉を渡し「タバコばかり吸う君たちは口が臭いから、これで口の中を清潔にしてくれ」と伝えてくることも多々あったとされる。

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