「金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ」 奇異の目で見られていた麻生太郎副総裁はいかにして権力を手にしたのか

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“傍流の面白い人”から総裁候補へ

 そんな麻生氏の第一の転機となったのは、小泉純一郎政権。5年間の長きにわたったこの体制下で、党政調会長、総務大臣、外務大臣など重要ポストを歴任し、地歩を固めていくのである。

「それまでの麻生さんは、“傍流の面白い人”という扱いだったんですけどね」

 とは、東京大学名誉教授の御厨貴氏(政治学)。

「それが、重要ポストを任されることによって総裁候補になっていった。小泉さんからすれば、自分と同じように群れず、変わり者で、わっと物を言ってひらめきで生きる麻生さんには親しみが持てたんでしょう」

 小泉政権後、第1次安倍晋三、福田康夫の両内閣は1年ほどの短命に終わる。かたや野党第1党の民主党が支持率を伸ばし、政権交代の危機にお鉢が回ってきたのが麻生氏。マンガ好きでべらんめえ調といったキャラクターが若者から人気を集めたこともあって2008年、念願の総理に就任した。

「あの時の麻生さんは本当にいら立っていた」

 が、総理になるやリーマンショックが日本を襲う。目玉政策として国民一人一人に定額給付金を支給したが、景気は上向かず。自身も高級バー通いが批判され、また「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」、「頻繁」を「はんざつ」と発するなど、中学生レベルの漢字が読めないことがあらわになり嘲笑の的に。支持率は低下する一方だった。

「あの時の麻生さんは本当にいら立っていましたね」

 とは政治ジャーナリストの青山和弘氏。青山氏は当時、日テレ政治部で官邸キャップを務めていた。

「総理番の記者たちのマナーや言葉遣いが悪いと言って“質問者を代えろ!”などとよく怒っていた。“目上の人間にきちんと口も利けないヤツにインタビューさせるんじゃねえ”という感じで。いつもイライラしていましたね」

 また、

「解散の時機を逸してしまった。経済対策に腐心し、ずるずる延ばしている間に支持率はどんどん下がり、党内からも麻生降ろしが始まってしまった」

 当時、厚生労働相を務めていた舛添要一氏は、

「新型インフルエンザの流行という難局もあったけど、多くを任せてくれてとてもやりやすかった」

 と回想するが、その年、麻生氏に解散を迫り離党した渡辺喜美・元行政改革担当相に聞くと、

「すぐ解散するべきだと思ったけど、したがらなかった。このままだとまずいと思って。公務員制度改革について官邸に質問状を渡しに行ったんです。でも、受け取ってもらえなかった。あの時、解散しておけば、民主党政権はなかったですよね」

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