「金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ」 奇異の目で見られていた麻生太郎副総裁はいかにして権力を手にしたのか
首をかしげざるを得ない点が
ソフト帽をかぶり、唇をひん曲げながら辺りをじろりと睥睨する……。マフィアのボスのような政界のキングメーカー、麻生太郎・副総裁(83)。かつて自民党を下野させ、今も失言続きなのに、一体なぜこんなにエラくなったのか。【前後編の後編】
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しばらくはこのまま最高実力者としての存在感を誇示しそうな麻生副総裁。
しかし、なぜそこまで力を持つようになったのか。来歴をたどると、首をかしげざるを得ない点も見えてくる。
麻生氏は1940年、福岡県で生まれた。実家は炭鉱で財を成した筑豊御三家の一つ、麻生家で、母方の祖父が吉田茂・元総理であることは知られている。学習院大学を出た後、実家の事業に参画。JCの会頭を務め、クレー射撃でオリンピックに出場したことも。政界進出は39歳の時。当選後は、祖父・吉田の一番弟子・池田勇人が創設した宏池会に入る。後に結婚したのも、当時の宏池会会長・鈴木善幸元総理の子女だった。
“お前らさぁ、金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ”
しかし、それだけの血筋でありながら、同会では主流となれないまま、派を後にしているのである。
「初出馬をした頃だったかな。宏池会の事務所にいたら、太郎さんが入ってきたんです。第一声は“汚ねえ事務所だな”。そこにいた加藤紘一さんなんかは“何だコイツ”と奇異の目で見ていましたよ」
とは、宏池会取材歴半世紀、政治ジャーナリストの泉宏氏(元時事通信政治部長)。
「衆院選での演説の第一声は“下々の皆さん”だったのは有名な話です。僕ら記者に対しても、“俺はよぉ、お前らとは違ってな。朝起きたらすぐにワイシャツを着てスラックスをはいて靴を履いて、それでようやく1階に降りるんだ。するとそこには執事が待っていて……”などと言う。“お前らさぁ、金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ”なんて言うから言い合いになったこともありましたね」
そんなこんなで付いたあだ名が「半径1.5メートルの男」。心を許した相手は徹底的に面倒を見るからだが、その輪に入れない人は挑発的で野卑な言動に到底ついていけない。ましてや宏池会は“お公家集団”と言われる気風である。
「仲間は広がらなかった。そんなこともあり、加藤さんと河野洋平さんで派閥の跡目争いが起こると、河野さんと一緒に宏池会を出てしまったんです」(同)
河野グループは十数名の弱小派閥。当時の麻生氏はメインストリームから外れた“変わり者”の扱いだった。
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