阿部慎之助にサヨナラ満塁本塁打を、古田敦也監督は激怒…元ヤクルト捕手が語る、初めてプロの厳しさを知った瞬間
ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、異業種の世界に飛び込み、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の今に迫る連載「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第7回に登場して頂くのは東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズなどで12年間、捕手として活躍した川本良平さん(41)。前編では、「ポスト古田敦也」を目指して始まったヤクルト時代の話について聞いた。(前後編の前編)
【写真】古田監督の思い出話を語る時は思わず熱くなる…いまの姿
「ポスト古田敦也」を目指して始まったプロ野球人生
川本は球史に残る名捕手・古田敦也と同時代に東京ヤクルトスワローズに在籍し、正捕手の座を虎視眈々と狙っていた。しかし、ついにレギュラーを獲得することはできず、千葉ロッテマリーンズ、そして東北楽天ゴールデンイーグルスと渡り歩き、12年間の現役生活を終えた。彼は今、アパホテルの法人営業チームリーダーとして奮闘している。
「現役引退後すぐに、たまたまアパホテルの専務と知り合い、その2日後に、“アパに興味はないですか?”と連絡をもらって、“これも何かの縁だ”と思ってホテル業界に飛び込むことを決意しました。自分でもまったく予期せぬ展開に驚いていました(笑)」
現役時代は3球団に所属して、わずか345試合の出場にとどまった。12年間で放ったヒットは147本、ホームランは19本。成績だけ見れば、決して突出した記録ではない。それでも川本は、古田の薫陶を受けながら、懸命にプロ野球選手としての日々を生きた。現役時代に心がけていたこと、そしてホテルマンとして考えていることを聞いた――。
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亜細亜大学時代、2学年上で後にプロで活躍する木佐貫洋(元巨人など)、永川勝浩(元広島)といった好投手たちとともに研鑽を積んだ。川本がプロ入りしたのは2005(平成17)年のことだった。広島出身だったため、幼い頃から熱烈なカープファンだったが、「プロ野球選手になれるのならどの球団でもいい」と考えていた。
「だからヤクルトに指名されたのは嬉しかったです。当時は古田さんがまだ現役でしたけど、すでにベテランの域に差しかかっていたので、“チャンスはあるぞ”と思っていました。まずは二番手キャッチャーとしての地位を確立すること。入団したときの目標はそこに置いていました」
この頃のスワローズにとって「ポスト古田」は喫緊の課題だった。二番手候補の筆頭に小野公誠がいて、その後を米野智人、福川将和ら若手捕手が続く。熾烈な正捕手争いの渦中に川本は飛び込んだのだった。プロ2年目、若松勉監督が退任して古田が選手兼任監督となった。「兼任」という肩書きはついていたものの、古田新監督にとっての最重要課題は「ポスト古田の育成」にあった。川本にいきなりのチャンスが訪れた。
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