芸人初のテレビ司会をつとめた萩本欽一 意外と知られていない“革命的な功績”とは何か

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

バラエティ番組の基礎を作った功績

 しかし、若い世代ではそんな萩本の全盛期を知らない人が多いのではないだろうか。90年代に入ると、萩本はあまりテレビに出なくなっていた。それ以前から現在まで続いているのは「仮装大賞」だけだ。「欽ちゃん=仮装大賞の人」というのが、若い世代の共通認識ではないだろうか。

 また、2004年に野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成したり、2015年に73歳で大学に入学したりするなど、奇抜な行動で世間を騒がせる得体の知れない人物、というイメージもあるかもしれない。

 実は、私たちが普段見ているバラエティ番組の基礎を作ったのは萩本である。テレビの世界で彼が偉大な人物として語り継がれているのは、その功績のためだ。

 たとえば、テレビで芸人が司会を務めるのは今では一般的になっているが、これを初めてやったのは萩本であると言われている。アドリブ中心のコントを得意としていた当時の萩本は、台本通りに番組を進行させなくてはいけない司会の仕事を引き受けることに難色を示していた。

素人の扱いに定評

 そこで、萩本は一計を案じて、進行役として女性アシスタントを起用することにした。台本通りの進行はそちらに任せて、自分はアドリブで番組を盛り上げることに専念することにしたのだ。すると、その自由なスタイルが評判となり、萩本のもとには次々と司会の仕事が舞い込んできた。現在でも、芸人がメイン司会を務め、進行役のアナウンサーが脇を固めるという番組は多い。

 そもそも、司会者は1つの番組に1人しか必要ない、というのがそれまでの常識だった。それぞれ役割分担した司会者を2人配置するというのは、テレビの歴史を変える革新的なことだったのだ。

 萩本は、人前に出る職業ではない一般の人々、いわゆる「素人」の扱いに定評があった。萩本は街角に出向き、集まってきた一般人に不意にマイクを向けたりした。そこで突拍子もない言葉が出てくるのを楽しんでいた。

 プロの作家が知恵を絞って書き上げたギャグよりも、素人がなにげなく発した一言が大きな笑いを生むことがある。萩本はそんな素人の特性を熟知していた。

次ページ:香取慎吾は「すごい宝物」

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。