「段ボールのベッドで寝泊まり」 能登半島地震被災からセンバツへ…「日本航空石川」の奇跡を理事長と監督が明かす

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センバツが決まり理事長は「涙が出た」

 こうした苦難を乗り越え、ようやくナインは甲子園の土を踏むところまでこぎ着けたというわけなのだ。

「センバツが決まった時に、僕は“同情で選ばれたのか”と思いましたよ」

 と笑うのは、冒頭の梅沢理事長。

「職員に聞くと、“いや昨秋の実績が評価されたんです”と。うれしくて涙が出ましたね。その時にも野球部に笑顔はなく、“練習するより、学校の復旧や被災地でのボランティアをすべきじゃないですか”と言ってきた部員もいた。“大丈夫だから胸を張って行け”と言いましたよ」

 3月3日には山梨で、石川校の3年生の卒業式が執り行われた。

「最後のあいさつで“卒業だけど、春休みにはセンバツがあるから、〈後楽園〉に集まろうぜ”とボケたら、みんなズッコケてくれましたよ」(同)

 生徒たちの表情には、久しぶりの笑みが浮かんでいたという。

週刊新潮 2024年3月28日号掲載

ワイド特集「神様はお見通し」より

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