「段ボールのベッドで寝泊まり」 能登半島地震被災からセンバツへ…「日本航空石川」の奇跡を理事長と監督が明かす
18日に開幕した甲子園・センバツ高校野球。中でも注目の出場校といえば、日本航空石川高校であろう。能登半島地震で被災し、避難先での練習を余儀なくされた2カ月の日々を、理事長と監督が明かした。
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【写真を見る】段ボールをベッドに 1教室に多くて16人が寝泊まりしていた「日本航空石川」
同校野球部は春夏の甲子園に計4回出場の強豪。OBに、パ・リーグで首位打者を2回獲得した千葉ロッテマリーンズの角中勝也選手などがいる。
昨秋の北信越大会でもベスト4入りし、能登大地震が起こった元日の時点で、その3週間あまり後に発表されるセンバツへの出場が有力視されていた。
「地震が起こった元日の16時過ぎ、僕はちょうど、石川校の学園長を務める弟と電話をしていたんです」
と語るのは、山梨県に本部がある、学校法人「日本航空学園」の梅沢重雄理事長(71)である。
「地下にあった浄化槽が地上にせり上がってきたほど」
同法人は傘下に日本航空石川、山梨両校や日本航空大学校などを持つ、航空従事者の養成を目的とした専門校だ。
「弟は、奥さんの実家がある輪島にあいさつに行っていた。“おめでとう”なんて言っていたら、電話口で“あっすごい揺れが来た。揺れてる揺れてる”と言ったかと思うと“家が崩れてきた!”と。その後、電話が通じなくなり、次につながったのは翌午前3時。崩れた家に閉じ込められ、救助されて病院に運ばれていたそうです」(同)
理事長にとって同校は、20年以上にわたって作り上げてきた思い入れの強い高校だった。
「居ても立ってもいられなくなり、翌日の朝には輪島へ向けて車で飛び出しました。裏道を使ったり、非常線を突破したりして何とか到着したのが夜8時。不幸中の幸いか、発生が元日だったので生徒は誰もいませんでしたが、水道、ガス、暖房は使えない。野球部のグラウンドには亀裂が走り、地下にあった3メートル×5メートルぐらいの大きさの浄化槽が、どーんと地上にせり上がってきていたほどでした」(同)
生徒や教職員にも被災者が多数出ていた。冬休み明けの通学再開は諦め、リモート授業に。甲子園出場の可能性があった野球部は兄弟校である山梨校に避難し、練習環境を確保したという。
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