13歳でデビュー、32歳で事務所消滅、40歳でパニック症…「54歳の奇跡」と言われた国民的アイドルの波乱万丈
夫は10歳年下のサラリーマン
夫は10歳年下のサラリーマン。オフ会で顔を合わせるようになり、震災も契機となって結婚しました。この時から、人の助けになるようなことができないかと思いが強くなり、夫の理解もあり、ひんぱんに被災地に足を運ぶようになりました。コロナ前は、岩田県の陸前高田市に慰問に行って、足のもみほぐしやカウンセリングをしていました。
仕事では、50代の水着グラビアにも挑戦しました。「B.C.ビューティー・コロシアム」というテレビ番組に出演したのがきっかけです。番組では、横割れのマッチョな腹筋ではなくて、縦に割れている美の腹筋で痩せることができました。その後、ある番組のネタで水着姿を披露したところ、いろんな雑誌からグラビアを出しましょうという声がかかったんです。
グラビアに出ると、「54歳の奇跡」と言われて、うれしかったですね。撮ってもらったのは、ボランティアで出会った女性カメラマンです。動物をいい感じで撮っていた方で、雑誌のお話をいただいた時に、「そのカメラマンさんなら」という条件で、お願いしました。
番組で本当にきれいな体にしてくださいました。番組が終わってもトレーニングして維持していたのですが、ある日、猛ダッシュしたら転んで、肋骨にひびが入ったんです。体が軽くなり調子にのっていたのですね。2カ月トレーニングを休んだり、そんなことが時々あって維持できなくなり元の体に戻ってしまいました(笑)。
転機は森光子さんの舞台「放浪記」
人生の転機は、森光子さんから舞台「放浪記」に誘っていただいたことです。女給の悠起という役をやらせていただきました。舞台俳優を目指してこの世界に入ったのですが、舞台となると、背も低いし声も通らない。それでも、森のお母さんが拾ってくださったんです。
森さんからは「大きな声でなくても、通る声でいいのよ。思いっきり、舞台をやりなさい」と言われました。自分としては、本当にやりたかったこと(舞台俳優)ができたという思いでした。振り返ると、「やりたい」と言ったら、それなりに願いがかなってきた人生だったような気がします。今は64歳ですが、70歳までは現役でやりたいです。
ボランティアもなるべく続けていきたいですね。セラピストとして施術をすると、お疲れの顔がすっきりされる方がいます。フットリフレをやると、「靴のサイズがちょっと緩くなったわ」と言ってもらえます。皆さんが笑顔になって喜んでくれて、幸せそうにしてくださることが、私の生きがいになっています。