車内タバコ、殺人的ラッシュ、垂れ流し式トイレ…「ふてほど」で昭和を懐かしむ人はいても「鉄道」は全く別と言える理由
“黄害”
線路に落ちていたのは、タバコの吸い殻だけではない。そのほか、“黄金色の物体”も無数に落ちていた。
日本の鉄道史において、一般乗客が使用する列車に初めてトイレが備え付けられたのは1880年だったが、このときに登場したトイレは人間から排出される黄金色の物体をそのまま車外へと垂れ流していた。こうした垂れ流し式の列車トイレは開放式と呼ばれる。
列車が走行中に用を足せば、車外に排出される黄色い物体は勢いよく飛散する。都市部は沿線に多くの人家が並んでいる。人家を汚せば、当然ながら苦情が出るだろう。
沿線住民にとって黄色い物体による被害は深刻な問題で、“黄害”と呼ばれた。黄害に悩まされていたのは沿線住民ばかりではなく、処理を担当する国鉄職員も手を焼いていた。
国鉄は人家の少ない地方都市やローカル線なら開放式トイレでも苦情は出ないと甘く見ていたが、1963年に岡山県の三木行治知事から国鉄総裁に宛てて「列車の便所から放出される汚物の処理について」と題した嘆願書が提出されている。行政が動いたことからも、黄害は地方都市だからといって看過できる問題ではなかったことが窺える。
翌1964年に走り始めた東海道新幹線はトイレ構造を工夫し、車外に垂れ流さない仕組みになっていた。これで黄害は解決すると思われたが、在来線を走る列車トイレは数えきれないほどあった。
これら無数の開放式トイレを一気に置き換えることは非現実的で、国鉄はその後も開放式トイレを備えた車両を使い続けている。
とはいえ、国鉄が黄害に対して何も対策を講じなかったわけではない。国鉄はトイレの扉に「駅に停車中は使用しないでください」という但し書きを掲出。駅は多くの人が行き交う場所であり、停車中に用を足せばそこに“おみやげ”が残される。
ただ、トイレを使用する利用客は便意を催して慌てているから、駅停車中はトイレを使用しないというルールを守れるわけがなかった。ホームで列車を待つ人たちが、開放式トイレからのおみやげを目にすることは頻繁にあった。
こうした開放式トイレは、1980年代においても主流を占めていた。国鉄がJRに改組する直前にトイレを非開放式に切り替えた車両は5,350両までになっていたが、国鉄時代に全廃は達成できなかった。開放式トイレの全廃という課題は、JR各社に託されている。
混雑・タバコ・トイレといった、鉄道に関連する3つの事柄だけを振り返ってみても、現代の価値観や社会情勢では不適切と受け取れるような鉄道ルールやマナーが過去には数多く存在した。
それらは時代とともに社会の意識が向上し、改善された。現代はルールやマナーが多くて窮屈だと感じる人もいるだろうが、こうした時代に戻りたいか?と問われれば、臆面もなくYesと答える人はまずいないはずだ。
「不適切にもほどがある!」は現代社会を風刺する名作だが、だからといって同作を見て「昔はよかった」と安易に口にすることは慎みたい。
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