「よど号」機長の転落人生 英雄扱いから一転、2度目の愛人発覚で日航退職…最後に救いの手を差し伸べたのは

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ホテルニュージャパンに隠れた女性

 掲載号発売後、編集部には「国民の英雄を貶めるとは何事だ」と右翼を名乗る人物などから抗議電話がかかってきた。女性の身の安全を図るため、高田は、当時、知己を得ていた、各界に顔の利く、ある作詞家を頼る。

 あの有名な「月光仮面」を作詞し、近年では森進一の「おふくろさん」騒動でも話題になった、大物作詞家、川内康範氏(故人)である。高田は川内氏に頼み込み、一時期彼女をホテルニュージャパンに匿ってもらったりもしたという。

 記事の反響は大きかった。各誌も一斉に後を追った。読者は憤慨し、英雄は一転して「家庭を顧みず愛人も捨てるような身勝手な男」に転落してしまった……。

 よど号事件から2年後の昭和47年の秋、石田機長は日航を退職した。愛人騒動が冷めかけたころ、再び新たな愛人の存在が発覚。女性はクラブのホステスで、たまたま彼と同じマンションに住んでいた。

退職勧告の裏に「上層部との確執」と「新愛人」

 石田は階の違う本宅と愛人宅を行き来する生活を送っていたが、やがて愛人との間でケンカが絶えなくなる。妻をも交えた刃傷トラブルが警察沙汰になり、これが報道されるにあたって、石田機長は会社から退職を勧告されたのである。乗務するために向かった 羽田のオペレーションセンターでの、いきなりの通告だった。

「辞める必要なんてなかったけど、会社が辞めてくれというから一本気に辞めてやると言ってしまった。私に反発するパイロットもいてね。今思えば残念でした」(「週刊新潮」99年8月12・19日号)と石田機長は後に語っている。

 パイロットといえば当時は高給取りの代名詞で、花形の職業である。退職勧告は度重なる女性スキャンダルに会社側が愛想を尽かした格好だったが、その背景には、よど号事件をめぐる上層部との確執もあったようだ。

 石田機長にすれば、乗客の安全を第一に考え、犯人側の要求どおりに北朝鮮に向かったのだが、会社側は当初から国内でよど号事件を解決するつもりだった。そのため機長の行動を苦々しく思っている幹部もいたのである。

 退職後、石田機長の人生は、文字通流転の人生となった――。

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