兄弟で60年以上も共同で映画監督を パオロ・タヴィアーニ監督の生涯

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 兄弟が共同で監督を務め映画を撮る例は、アメリカのコーエン兄弟のように案外と見受けられる。

 とはいえ、60年以上にわたって常に二人で監督をしてきたイタリアのタヴィアーニ兄弟は別格である。兄のヴィットリオさん、弟のパオロさんの共同監督は徹底していた。1シーンずつ交代して撮影するのだ。

 兄弟に役割分担はなく、全く対等。一人が監督する間、もう一人は黙って見ている。俳優は監督が二人いると感じて最初は戸惑うが、兄弟が求めることが完全に一致していると分かると気にならなくなった。

 映画評論家の垣井道弘さんは振り返る。

「兄弟は二人三脚どころか一心同体。作品につながりのぎこちない部分などなく、名だたる国際映画祭で最優秀の賞を受賞しています。日本では1980年代初めから作品が紹介されイタリアの代表的監督として映画ファンに知られた存在です」

パルムドールを受賞

 パオロさんは31年、トスカーナ地方のサン・ミニアート生まれ。父親はファシズムと闘った弁護士だ。

 イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督の「戦火のかなたに」に感銘を受ける。大学で兄は法律、パオロさんは文学を学ぶうち、二人で映画作りを始めた。

 54年、短編のドキュメンタリー映画で兄弟は監督デビュー。62年に長編「火刑台の男」で頭角を現した。「父 パードレ・パドローネ」が77年にカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞、世界が注目する。

 同作の舞台はイタリアの農村。父親は息子の教育を受ける機会を奪い、羊飼いにした。読み書きできず育った息子は兵役を機に言語を学ぶ。父親の反対を押し切って大学に通い、著名な言語学者になる物語だ。これは実話で報道をもとに兄弟で脚本を書いた。日本では82年に公開、話題作に。

 映画評論家の北川れい子さんは言う。

「子供を学校に行かせない父親はひどいですが、厳しい自然の中で生き抜くすべは教えた。体罰を与えても愛情は失っていない。子供が父親の支配から脱する姿だけでなく、切っても切れない父子の絆も伝わってきた」

黒澤明監督を尊敬

 87年の「グッドモーニング・バビロン!」も日本で人気を呼ぶ。イタリアで聖堂の修復を生業にしていた家の息子二人がアメリカに渡り、デヴィッド・ウォーク・グリフィス監督の超大作「イントレランス」のセット作りを依頼される。実話を参考に父子兄弟の情、ロマンス、戦争を描いた。

 映画評論家の白井佳夫さんは思い出す。

「ハリウッド草創期の雰囲気もよく伝わってきました。タヴィアーニ兄弟の作品は実話が基礎にあっても、どこかおとぎ話のような味わいがして魅力的でした」

 初来日は87年。自然な間合いで二人が話をつなぎ、まるで一人の人物が話しているかのようだった。溝口健二、小津安二郎、黒澤明の作品の数々、なかでも「山椒大夫」「東京物語」「七人の侍」に大きな影響を受けたと兄弟は語る。自分たち同様トルストイの『戦争と平和』を愛読するという黒澤監督を特に尊敬した。

「亡き兄を意識しながら監督していた」

 2012年、「塀の中のジュリアス・シーザー」でベルリン国際映画祭の最高賞である金熊賞を受賞。重罪を犯した者が収容されているローマ郊外の刑務所で、囚人が一般の観客に演劇を披露する実習の過程を追う内容だ。俳優が実際の囚人という意欲作だった。

 18年、兄のヴィットリオさんが88歳で亡くなる。パオロさんは初めて一人で監督を担うことになり、22年、「遺灰は語る」を発表。23年に日本でも公開された。

「兄と一緒に作りたかった題材。亡き兄を意識しながら監督していた」(白井さん)

 2月29日、92歳で逝去。

 兄弟監督の手法が称賛されると、フランスのリュミエール兄弟を挙げ、映画の発明者からして兄弟ですよ、と言って謙遜していた。

週刊新潮 2024年3月14日号掲載

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