すでに遺体は腐乱しきっていて…文豪・有島武郎が人妻と“軽井沢心中”した理由と遺書の中身

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波多野秋子は「きっかけ」だった?

 大正文壇の寵児と、若き女性記者、2人の情死事件は世間に大反響を巻き起こした。当時の新聞はこの事件に関する記事を連日掲載し、賛否の論議が交わされた。

 文壇では有島の死に方に対する批判が多く、有島のかつての師であった内村鑑三は、「背教者」として有島を断罪、「有島君は神にそむいて、国と家と友人にそむき、多くの人を迷はし、常倫破壊の罪を犯して死ぬべく余儀なくせられた。私は有島君の旧い友人の一人として、彼の最後の行為を怒らざるをえない」と、辛らつな言葉を投げている。

 有島武郎が選択した情死は、許されぬ恋愛の果てだったのか、それとも死への願望が結実したものだったのか。

「有島武郎にはもともと自殺願望があり、波多野秋子はきっかけにすぎなかった」との説を唱えるのは、文芸評論家で元昭和女子大大学院教授の遠藤祐氏である。

「ひとつは仕事上の行き詰まりがあったと思います。有島は死の前年に個人雑誌『泉』を刊行、短編をいくつか書いていますが、そのほとんどは性急な観念の吐露であり、作品として生命力のないものでした。また『星座』という長編も書き始めていましたが、これも結局“第一部”だけで後が続かず、創作家としての生命力が枯れたような状態になっていた。こうした挫折感が、自殺への大きな要因になっていたと思います」

本能のままに生きたいという願望

 もうひとつは、自らの本能をまっとうしたための死、という見方である。

「有島は表面的には良識ある紳士で、奥さんや子どもを大切にするような社会的なモラルを持つ人だったが、一方で社会的な規範に反逆する“本能的な生活者”に憧れていた。私の中では、有島自身が、『カインの末裔』に登場する、社会規範にとらわれない荒々しい主人公と結びつくのです。

 つまり彼は、本能のままに生きたいという願望をずっと持ち続けていて、創造的な生命力が枯渇した晩年、追い詰められて滅ぶよりも、自死によって自身の生を完全に生き切ることを選んだのではないか。残された遺書には、『十全の満足の中にある』『心からのよろこびを以てその運命に近づいてゆく』『最も自由に歓喜して死を迎へる』などの言葉がありますが、それらの言葉を信じる限り、死んだ有島は、そのなりゆきを悔いても嘆いてもいなかったのだと思います」

「戯れつつある二人の小児」

 情死がどちらの主導の結果であったかは定かではない。運命のように出会った2人の気持ちが一致し、死へ向けて走り始めたのは疑いがない。少なくとも有島にとって波多野秋子は、死への敷居を低くした存在だった。友人にあてた遺書の中で、有島は死の直前に次のように記している。

「山荘の夜は一時を過ぎた。雨がひどく降つてゐる。私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら最後のいとなみをしてゐる。森厳だとか悲壮だとかいへばいへる光景だが、実際私達は戯れつつある二人の小児に等しい。愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった」――と。

上條昌史(かみじょうまさし)
ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。

デイリー新潮編集部

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