朝6時の起床から夜の営みもすぐ脇で監視され…徳川将軍が送っていた“プライバシーなし”究極の日常生活とは

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 徳川将軍という存在がなにかと脚光を浴びている。フジテレビ系の木曜劇場「大奥」では、亀梨和也が十代将軍家治を演じているし、ディズニープラスで配信されているドラマのタイトルも「SHOGUN 将軍」だ。

 しかし、考えてみると、私たちは将軍が最高権力者であることは知っていても、日ごろどんな暮らしをしていたのか、どんな1日を送っていたのか、案外知らない。「大奥」を見ていれば、大奥に渡るとかそんなことはわかっても、いまひとつイメージが湧かない。「暴れん坊将軍」のように、その気になれば自由気ままにすごすことができたのだろうか。

 じつは、江戸時代の徳川将軍は、朝からがんじがらめに近い生活を送っていた。

 将軍の屋敷を兼ねる江戸城本丸御殿は、時期によっても異なるが床面積が1万2000坪から1万6000坪程度と広大で、南から「表」、「中奥」、「大奥」と三つに分かれていた。「表」は中央政庁にあたり、「大奥」は周知のとおり、将軍の御台所や子女、奥女中らが暮らす女の園。真ん中の「中奥」が、将軍が起居して日々の政務を執る場所だった。そして、「中奥」のなかでも「御休息」と呼ばれる部屋が、将軍の居間であり寝室であった。

 中奥では、将軍がひとりで過ごせる時間はあまりない。側衆や小姓、小納戸など、将軍の身の回りの世話が任務の役人たちに囲まれて過ごさざるをえなかった。

 起床時間はおおむね午前6時ごろと決まっており、時間になると宿直の小姓が起こしに来た。このとき小姓は「もう」という声を出すのが慣例で、これが聞こえると、宿直の小納戸役が、御小座敷の上段の間に毛氈を敷き、たらいや湯桶、うがい茶碗、歯磨き粉、塩などの洗面道具をそろえるのだった。

 それが済むと紋服に着替え、いったん大奥の仏壇を拝んでから戻ると、御髪番が髪を整え、ひげや月代を剃り、まげを結った。御髪番は5、6人いて、みなけっこうな労働だったらしい。だが将軍も、髪を結ってもらっているあいだまで忙しい。奥医師が何人も現れ、内科(本道と呼ばれた)から外科、そのほかまで、専門ごとに触診されるのである。

 そうこうするうちに朝8時ごろになるので、小姓がふたたび「もう」と声を出し、朝食を運ばせる。しかし、この時点ではまだ髪を結い終わっていないので、朝食はたいてい髪を結わせながら食べたようだ。

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