「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由
廊下で道を譲る優しさを持つ
ここで愛子さまの微笑ましい「素顔」についても少し触れておこう。
小学生(学習院初等科)時代を知る学習院OB・OGの間では「ごくごく“普通の女の子”でいらした」との声が多い。同級生たちと、ちょっとしたいたずらをして、先生に叱られる、といった“茶目っ気”もおありでいらしたらしい。
学習院女子中・高等科では美化委員会に所属。校内の清掃を指揮する委員の集まりで、かつて在学した黒田清子さんも所属していた。思春期で、掃除をさぼりがちな女子生徒たちに協力を依頼する立場であり、場合によっては率先して自ら清掃に手を動かす。奉仕の心がなければできないだろう。
女子部在学中の愛子さまのご様子については「廊下の通行で、他の生徒たちに進んで道を譲るような優しい方だった」「国語や古文がお得意でいらした」「受験勉強をなされば、東京大学にも進学できるレベルの学力をお持ちでいらした」との声がある。
こうした愛子さまのご様子は、私自身が女子部在学中に拝見した、二年下の黒田清子さんの姿と重なりあう。「皇族」であることは感じさせず、決して派手さはなく、他人に尽くす振る舞いが自然に備わっている、とでもいうべきか。
「茶目っ気あるいたずらっ子」の愛子さまは、学習院女子部で「大人の女性」になられたのだと私は思う。
女子部卒業生が集まると、よく話題になるのが「私たちは、出るところに出れば、きちんと振る舞うことができる」という自負心だ。女子部で躾(しつけ)を受けた賜物だと私自身も今になって感謝している。
例えば入学当初は言うのが恥ずかしかった挨拶ことば「ごきげんよう」を、授業の始まりと終わりなど日々、繰り返し口にし、自然に言えるだけの美しい日本語の言葉遣い、お辞儀の角度とTPO(学習院以外の方には、「ごきげんよう」は奇異に思われるので使わない等、微妙な心遣いまで)などなど。皇族・皇室の方々が身近におられ、ごく自然にそうした方々と接する機会があることも大きかったようにも思う。
昭憲皇太后、貞明皇后の下賜の「御歌」の教え
こうした教育の基礎は歴代皇后から下賜された「御歌」の中にある。学習院女子部の事実上の校歌は、昭憲皇太后(明治天皇の妃)の「金剛石・水は器」。勉学に励み、切磋琢磨しよき友と学べという内容で、入学式で歌われる。
貞明皇后(大正天皇の后)の「月の桂」は卒業式で歌われる「御歌」で、鍛錬すれば高根の花も、月にある桂の木にも手が届く、身の行いを正し、家も守り、国に尽くせといった教えが込められている。下賜された当時は、皇后・皇太后が頻繁に学習院に行啓しており、御前でこの御歌を当時の生徒たちが歌ったこともあったろう。
その唯一無二の経験と教えは、現代の学習院女子部にも特別な歴史と文化として伝わっている。卒業生はほぼ例外なく今でもこれらの御歌を口ずさむことができるし、知らず知らずのうちに心の支えになっている。女子中等科に入った早々、生徒たちはこれらの御歌の意味を学び、唄い方を練習する。それが自分自身の血となり肉となり大人の女性に育ててくれる。愛子さまも同じであったろう。初等科時代の愛子さまを知る卒業生が、ご立派との評価が高かった愛子さまの会見を見て「自分にも娘ができたら学習院女子に進学させたい」とも語っている。
先述した常磐会会報誌「ふかみどり」は5年に一度の刊行で、近年の号では三笠宮彬子さまが教鞭を執られる大学でのご様子を、高円宮承子さまは日本ユニセフ協会の嘱託職員として働く日々を綴られている。次号36号は来年2025(令和7)年の刊行予定だ。愛子さまには是非、日本赤十字社でのお仕事ぶりを率直にご寄稿されてほしいと願っている。
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