「廊下で道を譲る優しさを持つ」 愛子さまが学習院卒業後「日本赤十字社」に就職した理由
日本赤十字社と皇室との縁
愛子さまのご勤務先の日本赤十字社は、伝統的に皇室・皇族との縁が深く、名誉総裁が雅子さま、名誉副総裁が秋篠宮紀子さま、常陸宮華子さま、三笠宮百合子さまと信子さま、高円宮久子さまと複数の女性皇族が務められている。皇室・皇族ゆかりの組織へのご就職は黒田清子さんの前例もある。清子さんのように、ご公務の傍ら天皇・皇后両陛下をお支えし、上皇・上皇后陛下のおそばに寄り添いたい、と考えられるのは、ごく自然な成り行きだったのではないか。
なお学習院女子中・高等科の卒業生の場合、結婚後も実家に寄り添う女性たちの比率は、一般より高いように私は感じている。スープの冷めない距離に住み実家と行き来し、子供たちの面倒を見てもらうケースに加え、子供たちが独立した後は実家に戻り、父母と自分たち夫婦との二世帯住宅を建てて住み替える、高齢になった親の介護をする、といった話を、50代を過ぎた最近になってよく聞くようになった。
両親を支え、祖父母を支えるといった、家族を思いやる心は、華族女学校時代以来の学習院の教えでもある。
「そんな心が卒業生には自然に備わっており、愛子さまも同じ」
そんな評価を卒業生から聞くこともある。
三笠宮彬子さまのご活躍
いっぽう愛子さまの「大学院へ進まない」という選択を意外に思った国民も多かっただろう。小室眞子さん(秋篠宮眞子内親王)は国際基督教大学卒業後に英レスター大学大学院に留学し、博物館学の修士号を取得した。愛子さまの場合、国内のみならず、海外の大学院へ進まれるという選択肢もあり得たはずだ。なぜそうされなかったのか。
推測でしかないが、おそらくは三笠宮彬子さまのご活躍ぶりを参考にされてのご判断ではなかったか。
彬子さまは学習院大学文学部史学科をご卒業後、英オックスフォード大に留学され、日本美術史を専攻、博士号を取得された。女性皇族として初、海外の大学からの博士号取得も皇族として初である。現在は京都産業大学の日本文化研究所の特別教授として、研究を続けながら学生指導をされている。
研究者の道を究めるのは、生半可なことではできない。一般論として、修士号を取得した程度では入り口に過ぎず、その後に時間をかけて博士論文をまとめ、博士号を取得して初めて研究者の卵となれる。
彬子さまは、ご自身に歴史という学問の面白さを最初に教えて下さったのが祖父の三笠宮崇仁殿下だったと、学習院女子中・高等科の同窓会である常磐会の会報誌「ふかみどり」(2020年発行の第35号)で書かれている。その影響で研究の道を究めようとされているのだろう。
彬子さまは「真摯に指導するということがどんなに大変であるかがわかり」「自分が面白いと思っていることを学生たちに共有し、学ぶことは面白いと思ってもらえるような種を彼らの心に蒔くことならば、私にもできるかもしれないと思った」とも綴られている。
報道によれば愛子さまは、学習院大学の卒業論文を「中世の和歌」をテーマに執筆されたという。もう少し、勉強したい、というお気持ちもおありだったかもしれない。だが研究の道を究めるのは厳しい。
真摯に研究に取り組まれる彬子さまの姿は素晴らしい。しかし、「同じようにはできない」と考えられたのではないだろうか。彬子さまは女王殿下、愛子さまは天皇家の内親王とお立場が違い、公務の質も違い量も多くなっていく可能性が高い。そんなお立場の違いも踏まえてのことだったろう。
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