日活ロマンポルノはなぜ今も根強い人気があるのか

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「女の自立は日活ロマンポルノから始まった」

 当然のことだが、日活ロマンポルノは女優を最優先した。その基本姿勢は、美しく撮る、ありのままに撮る、一番イイ女に撮る。この三原則が「現場の基盤」にあった。むろん、男性客の疑似体験のためにだが、女優らが全員、撮影場所を「現場」と呼ぶ根拠は、

「私はその人(観客)のいちばんイイ女になるって思いながら現場(撮影)に臨む」(日活女優・丘ナオミ)

 だからだ。撮影に入る直前の女優たちが常に輝いて見えると言われるのは、そうした覚悟に支えられているからと推し量れる。

「日活ロマンポルノは、(映像を)感じさせて、(画面に)入れ込ませて、観客を勃起させなくては失格」(取材に応じた新宿ゴールデン街の従業員)

 となれば、剥き出しの肉体をカメラが表現してくれる映像世界に委ねるのが女優の生き方と分かる。名優・役所広司の、「私はなるべく(演技には)誠実に嘘をつきたい」との告白とは裏表のような印象を受ける。裸の肉体がその女優本人でしかないとすれば、ありのままの裸の演技が名優の信念と重なる気がするからだが。

 日活撮影所での言い伝えを取材したことがある。「カット割りとカット割りの間に神が宿る」。なるほど映画制作の時代(立ち位置)が異なっても保たれる撮影所の生き方が、「伝統」になるのだと。伝統を引き継ぐ撮影現場を、「大人として生きる場として学んだ」と告白したロマンポルノ出演女優は多いと耳にした。

 そのことの事例は、「男から解放される女の自立は日活ロマンポルノから始まった」との評価が、何度もブームを呼ぶ根拠なのだろうと私は確信するが、「決まった時間に女を抱き、決まった時間に殺人をする。そんなことを毎日のように繰り返す人間が(俳優の意)、いったいどうして(人として)正常を保たれる」と喝破したのは劇作家川口松太郎。映画と舞台の違いはあるが、「現場で生きる人たち」が現場から離れられない根拠の共通性があるような気がする。

「大人として生きる人生の最初の場所が現場(日活撮影所の意)だった」とは日活ロマンポルノに数多く出演した女優の回想だ。その確固たる人間の業(ごう)の故に、日活ロマンポルノは時代を超えて幾度もよみがえるのであろう。

小菅宏(こすが・ひろし)
東京都出身。立教大学を卒業後、集英社に入社。週刊誌・月刊誌の編集記者を経て、1990年に独立。著書に『僕は字が読めない・発達障害』、『美空ひばりと島倉千代子』、『小松政夫の遺言』、『女帝 メリー喜多川』、『ジャニーズ61年の暗黒史 新ドキュメントファイル』など。

デイリー新潮編集部

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