元日本兵・小野田寛郎さんの帰国後、政府がフィリピンに送った“3億円の見舞金” 算出根拠の内幕が明らかに

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出来るだけ早く申し出を

 支払いの時期については、以下の記述がある。

〈小野田氏の身柄を引渡すという比側の好意に直ちに応えるためにも、遅くとも小野田氏が発見された直後には、わが方としてはなんらかの見舞金を支払う用意がある旨を比側に示すことが望ましい〉

 実際、卜部大使は、小野田さんが日本へ帰国した日(49年3月12日)に、

〈わが国政府としてはフイリピン政府の好意にあまえ、オノダ救出につきフイリピン政府に何らむくいることなく過すことは国際的に見ても誠に見ぐるしいことになろうと察せられる。またフイリピン政府の好意にむくいるに当つてはむしろやや多すぎても少くとも100万ドルを下らざる金額を(少なすぎて後で追加せざるを得なくなるようなことは絶体(原文ママ)に回避する要あるべし)出来るだけ早く時を移さずオフアーされることが望ましい〉

 と、外務省へ公電を打っている。1年5ヵ月前に決まった方針を踏襲したのである。

小野田氏に「愛情と敬意」

 これで全て解決するはずであったが、最後に予想外の事態が起きた。3月27日、鈴木特使がマルコス大統領を表敬訪問し、100万ドルをフィリピン政府に贈呈したいと伝えると、受取りをやんわり拒否されたのである。

 卜部大使が、27日に外務省に送った公電には、次のような記録がある。

〈マ大統領より3億円のぞう与に関し、比政府はオノダに対してあい情とけい意をいだいている。(中略)そつ直に申し上げるので気を悪くされないでほしいが、この様な気持に金という価値を結びつけることは望ましくないと思う〉

 100万ドルの遣い道については、ルバング島の指導者に直接相談したらどうかと言い出したのだ。

「報告の仕様がなく、自分の立場がこまる」

 さあ、鈴木特使一行は困った。翌28日夜、フィリピン大使公邸で鈴木特使は再びマルコス大統領と会談。外務省が残した会談記録には、鈴木特使のこんな発言が残っている。

〈マルコス大統領も政治家であり、自分も日本の与党の最高幹部の一人として政治にたずさわつている。日本政府、田中総理、日本国民が感謝の気持の表われとして、是非ルバング島民のお役に立ちたいと考えて、本件の提案を行つているのであるから、これが実を結ばないとなると、(中略)帰国後田中総理、日本国民に特使として報告の仕様がなく、自分の立場がこまる〉

 それにマルコス大統領は、こう答えた。

〈比国において「基金」を設立することが良い案と思うが、自分や比政府がこれに参画することはできず、また、「基金」設立をもつて自分が本件贈与を受領したことにされるのはこまる〉
〈「基金」設立の案が自分の提案であるということを公表されるのは困る〉

 結局、同席していた卜部大使が提案したということで決着。マルコス大統領は、100万ドルの御礼について最後まで美談にすることに拘ったのであった。

前編【最後の日本兵「小野田寛郎さん」帰国から50年 性格分析や説得班の編成も…政府機密文書で明かされる“救出作戦”の全容】からのつづき

デイリー新潮編集部

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