元日本兵・小野田寛郎さんの帰国後、政府がフィリピンに送った“3億円の見舞金” 算出根拠の内幕が明らかに

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前編【最後の日本兵「小野田寛郎さん」帰国から50年 性格分析や説得班の編成も…政府機密文書で明かされる“救出作戦”の全容】からのつづき

 今からちょうど50年前の昭和49(1974)年3月12日、「最後の日本兵」こと小野田寛郎氏が帰国した。47年10月に生存が確認されると、日本政府は翌48年4月まで3次にわたって捜索隊を派遣。だがすべて空振りに終わり、最終的には49年2月に冒険家の青年が接触に成功したことで帰国につながった。

週刊新潮」は2016年、小野田氏の捜索と発見、帰国までの動きを記録した機密文書を情報公開請求で入手した。前編ではその文書から、救出活動の指針とされた小野田氏の性格分析や捜索方法の検討などについて詳細をお伝えしている。今回の後編では、帰国後に日本からフィリピンに支払われた100万ドルの見舞金について、金額算定の”基準“や日本側の思惑、フィリピン側の予想外の反応などを振り返る。

(前後編記事の前編・「週刊新潮」2016年8月23日号別冊「『輝ける20世紀』探訪」掲載「情報公開請求でA級資料680枚を発掘! 『小野田寛郎』元少尉の救出作戦報告書とマルコス大統領に100万ドル」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職、年代表記等は執筆当時のものです。文中敬称略)

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銃撃戦の直後から金銭の支払いを検討

 入手した大量の文書を読み込むと、新たな事実も浮かび上がる。

 小野田さんが日本へ帰国したのは49年3月12日だ。発見の第1報から2週間後のことである。政府は3月22日の閣議で、フィリピン政府と国民に感謝するため自民党の鈴木善幸総務会長を特派大使として派遣することを決めた。同時に鈴木特使はフィリピン政府に御礼として100万ドル(当時のレートで3億円)を贈ることを伝えている。

 だが、実をいうと、在マニラ大使館と外務省の間では、その1年5ヵ月も前からお金の支払いを検討していたのだ。

 前編で触れたように、小野田さんは47年10月19日、フィリピンの警察と銃撃戦となり、一緒に潜伏していた小塚元一等兵は死亡した。その3日後、小野田さんの家族や捜索隊が急遽、現地入りしている。

 外務省の南東アジア第二課が、〈ルバング島元日本兵の行為に係る比国政府への見舞金の支出〉(幹部会協議事項)と題する文書を作成したのは、同年10月30日である。その文書には、

〈比国軍によれば、1950年(編集部注・昭和25年)以来ルバング島において、小野田氏ら元日本兵により30人(兵士1人を含む)が殺され、100人が傷つけられ、また、農産物その他が盗まれた由である。これにつき、比国情報大臣補佐官は10月22日卜部大使に対し、日本政府が何らかの「補償」を考えているかを質問し、卜部大使は10月25日、公電をもつて、なんらかの金銭的手当をして欲しい旨の意見を具申越した〉

 とある。加えて、日本政府が見舞金を払う必要性とメリットが挙げられている。

1:フィリピン側の被害は、小野田さんらの個人的行為にせよ、彼らを戦時中に派遣したのは日本政府だ。見舞金は、道義的責任、外交的配慮からも払う必要がある。
2:小野田さんが発見された場合、フィリピン政府は直ちに身柄を日本側に引き渡す。

 一方、フィリピン人被害者は小野田さんらの家族に、損害賠償を請求する可能性がある。見舞金は、フィリピン人被害者の請求権行使を思い止まらせる効果があると見られていた。

テルアビブ空港乱射事件も参考に

 問題は、いくら支払うかである。その算定はなかなか難しい。

〈その内訳は比側に示すべきものでもないが、わが方政府部内の検討においてはなんらかの算定が必要である。他方、その作業に年月を費してはいられない。見舞金支出の目的が、民事上の債務支払いというよりも、むしろ、比国に対する政治的配慮から行なわれるものだからである。従つて、30人の殺害等の未確認情報は、これをむしろ「事実」に準ずるものと仮定し、これを見舞金算定の基礎とせざるを得ないと考える〉

 文書ではまず、太平洋戦争におけるフィリピンとの賠償協定(31年3月)と比較している。この時、日本政府から支払われた賠償金は5億5000万ドル。戦時中に殺害されたフィリピン人は6万5000人である。一人あたり8461ドルで、物価変動を勘案すれば約1万ドル。30人殺害したとすれば30万ドルになる。

 もう一つの比較として持ち出されたのが、日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件(47年5月)だ。この事件で殺害されたのは26人。日本政府は見舞金として150万ドル支払った。一人あたり、約6万ドル。30人殺害とすると180万ドルになる。外務省の文書には、こう書かれている。

〈30万ドルも180万ドルも、そのまま十分に確実な基礎ではないが、その中間をとり、かつ、救出作業等における比国当局の協力への謝金という要素を勘案しつつ(中略)一応100万ドルという数字を立てることができよう〉

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