最後の日本兵「小野田寛郎さん」帰国から50年 性格分析や説得班の編成も…政府機密文書で明かされる“救出作戦”の全容

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心理学専門家が参加した研究会議

 さて、最も興味深いのは、手書きで〈小野田少尉救出活動に関する心理学的諸課題並に関連事項についての調査研究〉とタイトルが付けられた報告書である。表紙には〈厚生省庶務課より入手〉とメモされているが、元厚生省職員が言う。

「小塚さんが射殺され、47年10月23日から捜索隊を送り込んだものの、うまくいきませんでした。政府は小野田さんが自発的にルバング島から出る決意をするよう誘導することに、その後の捜索活動方針を転換。そこで、心理学者ら専門家から意見を聴取し、“救出作戦報告書”をまとめたのです」

 10ページに及ぶ報告書は48年1月13日付で作成された。研究会議は3回行われ、日本心理学会会長の相良守次氏(基礎心理学)、警視庁刑事部主幹の町田欣一氏(犯罪心理学)ら、計7人の専門家が参加。同年1月末から4月13日まで派遣された第3次搜索隊(80名)は、この報告書を基にして捜索を行ったという。

身長まで考慮しての性格分析

 まず、報告書は〈救出活動に関する基礎的問題〉とし、〈小野田元少尉のパーソナリテー(人柄)について〉記している。専門家は、小野田さんの両親や姉、海南中学の同級生らに聴き取り調査を行った。

〈一次的性格としては、はつきりした粘着性気質と推定される。(註・粘着性気質とは、ていねい、きちようめん、意志が強く、粘り強い性格である)〉
〈二次的性格としては、きわめて優秀な兄弟、姉妹の間に於いて、普通程度の知能と生来的に身長が低いことから、幼・少年期に強い劣等感がみられ、それの補償的機制として粘り強さ、並に欲求不満に対する耐性が形成されているものと推定される〉

 因みに、小野田さんの身長は160センチ程で、

〈三次的性格としての価値的志向の面では海南中学剣道部を通じての皇国思想が顕著に認められる〉

 と分析している。救出活動については以下の記述がある。

〈1期、2期にわけて、段階的に実施すべきものと考える〉
〈第1期は3週間(21日間)、接触班のみ接近させ後方から説得班が呼びかける説得作戦を実施する〉
〈第2期は3週間以上可能な期間、捜索救出作戦を実施する〉

 組織については、接触班、説得班(通信管理を含む)、搜索班、情報処理班、渉外広報班、救護補給班のような班編成とし、団長が指揮を執ることが望ましい、と。

第1段階は呼びかけと説得

 まず、救出活動の第1期を仮に“呼び掛け、説得の期間”としよう。その上で報告書は、〈小野田元少尉説得に対する課題〉の〈訴求態度について〉、こう指摘する。

〈極度の警戒心と恐怖感そして不信感を持つている小野田元少尉に対して「戦争と平和」「国際状勢」「大統領は約束している」などの情報を与えても訴求効果は全く期待出来ない〉

 とし、ルバング島における救出活動状況の説明など、身近な情報を与えることが必要だとする。呼び掛けを行うにあたっては、

〈小野田元少尉の反応を期待するためには、反応しやすい場面を設定しておく必要がある〉

 とした。具体的には、海南中学の友人グループ、中野学校出身の戦友やルバング島における戦友グループ、肉親グループから3名1組の班を編成。ビゴ川上流、チリク川上流、ブロール川上流、ゴンチン海岸に各々1~3拠点を設定し、小野田さんの接近を待つという。それまでの捜索と違う点もあった。

〈小野田元少尉に対する訴求標識(訴求シンボル)として、従来までは日の丸の旗が利用されていたが、今後の訴求シンボルには赤十字の旗も併用することが効果的と考える。赤十字の旗を新しく利用して訴求シンボルにすることは、小野田元少尉に対して安全、救出のイメージを与えることに役立つものと考える〉
〈説得班員が、小野田元少尉に呼びかけるとき、呼びかけの主体名称は「日本赤十字」と呼称することが望ましい〉

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