「裕次郎とオレと3人で、日本映画の斜陽化を遅らせることはできたはずだ」…小林旭が語った21歳「伝説のスター」の衝撃的な死
昭和35(1960)年、日本国内には7457もの映画館があった。邦画の封切本数は全体の約72%を占める547本。 まさに日本映画の黄金期である。銀幕の上で輝くスターたちも百花繚乱の様相を呈し、中には伝説になった者もいた。日本映画界に颯爽と現れ、わずか数年で不慮の死を遂げた赤木圭一郎はその代表格だ。若きスターとして将来を嘱望されていた21歳が、撮影の合間に乗車したゴーカートで壮絶な事故死を遂げるというニュースは、ファンと映画界を絶望に陥らせたという。小林旭が2005年に語った言葉から、赤木の往時の姿と事故の衝撃を振り返る。...