「夜ヒット」超人気司会者・前田武彦は“バンザイ事件”でなぜ、テレビから消えたのか 本人が亡くなる前に語っていた本音「悔やんでいる。でもね、真実とは違った」
お茶の間の主役がテレビだった昭和40年代、数々の高視聴率番組で司会者を務めた「マエタケ」こと前田武彦氏。毒舌と巧みな話術でフリートークの時代を切り拓いた先駆者でもある。そんな時代の寵児は、生放送中に「バンザイ」と叫んだことでテレビ界から消えてしまった。一部では「共産党バンザイ」だったという報道もあるが事実は違っているという。2011年8月に82歳で急死する3年前、マエタケ氏本人が改めて語った事件の真相と消えなかった後悔の念とは。
(「新潮45」2008年7月号特集「昭和&平成 芸能界13の『赤い衝撃』」掲載記事をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記、役職名、施設名等は執筆当時のものです。文中敬称略)
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【写真】マエタケ&巨泉が開いた個性派路線…1940年代生まれの司会者にも色濃く残る
ボクのスタンスが反感を買った
「そりゃあ悔やんでますよ。でもね、事実とは違ったんです。芸能マスコミは、足元を掬うのが得意だから……」
白髪の目立つその老紳士は、眼鏡の奥から少し寂しそうな目を私に向けた。それでも、かつてテレビ界の人気者として君臨した面影は、時折見せる微笑からも窺える。
微笑の主は、前田武彦(79歳)という。テレビがどの家庭の茶の間にも普通に置かれるようになった昭和40年代、数々の高視聴率番組の司会者として名を馳せた男だ。
「ボクはウソ偽りは申しません。正直に話しますよ」と、面会して早々に語った通り、悪びれる様子はなく、幾分懐かしげに、しかし淡々と記憶の糸を手繰り寄せた。
「あの事件の後、すっかり仕事が来なくなった。迂闊ではありました。ただ、ほかのことだったら、あそこまで尾を引かなかったでしょう。やはりボクのスタンスが反感を買ったのだと思います」――。
テレビ史に残る番組で司会
昭和48(1973)年6月18日夜、フジテレビ局内で、歌番組「夜のヒットスタジオ」の生放送が行われていた。
司会は、43年の放送開始時からのコンビである「マエタケ」こと前田武彦と芳村真理。毎回、歌謡界のトップスターが持ち歌を披露しながら、司会者たちとトークを展開する内容で、世間では略称の「夜ヒット」として広く知られていた。全盛期には視聴率が40%を超えたこともある、月曜の定番番組だった。
中でも、前田は、出演歌手にユニークなあだ名を付けたり、歌手との脱線気味の会話やジョークで盛り上げたりと、アドリブ性の高い軽妙な話しぶりで定評があった。既に昭和30年代から放送作家、ラジオのパーソナリティーとして活躍しており、テレビでは「夜ヒット」と同時期に、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」、「笑点」といった、テレビ史に残る人気番組の司会も担当した超売れっ子だった。
両手を高々と挙げて「バンザーイ!」
“事件”が起きたのは、「夜ヒット」の放送終了直前のことだった。エンディングテーマが流れる中、前田が突如、カメラに向かい、両手を高々と二度ほど挙げて、「バンザーイ!」と叫んだのである。近くには「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のボーカル三条正人らがいた。
番組担当ディレクターの藤森吉之は、当時のマスコミ取材に対し、次のように説明している。
「前田さんが“バンザイ!”をいったのは知っています。東京ロマンチカの三条さんも、いっしょに手をあげていたみたいですよ。ただ、コマーシャルのことなどで、私も、それほど注意してはいなかったんですよ。なんのための“バンザイ”かわからなかったし、またいつもの調子でサービスしたのかな、と思っていたんです」(「女性セブン」48年7月11日号)
番組中に「バンザイ」と叫ぶだけならば、どうということはない。だが、このたかだか数秒程度の「サービス」こそが、順風満帆だった前田のテレビ人生に、暗雲をもたらしたのである。
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