「もう一度、優勝が見たい……」 清原、松井稼、中村を育てた名伯楽がレジェンドゲームで見せたライオンズ愛
清原氏とレジェンドゲームに
1986年、西武の1軍打撃コーチとなった土井氏は、同年入団の清原氏を指導することになる。高卒新人ながら、清原氏は開幕2戦目から1軍デビューすると5月から打ち始め、周囲は「新人王だ」「1年目で本塁打30本は狙える」と騒いだ。球団も期待を寄せる大物新人を育てる……その重圧から、髪の毛が白くなったという。
「かつての自身と同じ“18歳の4番打者”として抱える重圧や苦悩など、打撃技術以外の面でも親身になって向き合っていました。ただ、土井さんが『清原に申し訳なかったと今でも思っていること』として、自身のトラブルで最初の3年間しかコーチができておらず、死球になる際どい内角球のよけ方をちゃんと教えられなかったことを悔いておられました(「Number Web」2009年1月16日)。その後、清原氏は苦手の内角攻めに苦しむことになり、196死球という記録を残すことになります」(ベテラン記者)
2008年10月1日。京セラドームで行われた対ソフトバンク戦が清原氏の引退試合となった。親交のあるイチロー氏(49)らも駆けつけたが、客席には土井氏の姿もあった。多くの弟子がいる土井氏だが、清原氏への思いも相当なものがあるのだろう。
「今回のレジェンドゲームでは、本当に多くのOBが集まり、久しぶりに見る選手もいて満足しましたが、正直なところ、清原氏と松坂大輔氏(43)の姿がなかったのは寂しいです。今年は土井さんの希望通りチームが優勝して、そして清原氏と一緒にグラウンドに立つ土井さんの姿を見たい。実現したら、本当に泣くと思います」(前出・会社員)
多くのライオンズファンが、同じ気持ちなのではないだろうか。