「パーティーではカーテンの陰に隠れて応対」 鳥山明さんのシャイで謙虚な人柄を同級生らが明かす「子どものためにスーパーサイヤ人を描いてくれた」

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カーテンの陰に隠れて応対

 かつて集英社宣伝部で個展「鳥山明の世界」を企画・立案した山本純司氏は、

「93年から97年にかけ、国立西洋美術館をはじめ全国で鳥山さんの原画などを展示する企画でした。公立の美術館で漫画家の展覧会が開かれるのは手塚治虫さんに次いで2人目で、最初に展示の話を鳥山さんに持ち掛けた時、照れ笑いしながら『そんな……(自分を)買いかぶり過ぎですよ』と。すでに大御所だったのに、偉ぶるところが全くない人でした」

 さらに続けて、

「連載作家さんや関係者が集まって、時々ジャンプのパーティーが催されたのですが、鳥山さんはいつもジーンズにトレーナー、キャップを被ってスニーカーで現れた。関係者だけの宴席とはいえ、普段お目にかかれない人だからサインを求める列ができてしまう。そんな時、鳥山さんは会場の隅でカーテンの陰に隠れて応対していました。元々シャイなのですが、『他の先生方もいるのに自分だけ目立つと悪いから』という心遣いだったのでしょう」

「カヌーにお誘いしようとしてた矢先に」

 どこまでも「普通」を好んだというのだ。81年から11年にわたってアシスタントを務めた岐阜県在住のイラストレーター・松山孝司さん(66)も、

「私は先生の2代目アシスタントとしてお手伝いしましたが、車やバイク、映画に模型製作と共通の趣味が多く、仕事以外にも楽しい時間を共有させていただきました。先生が故郷の愛知にとどまったのも、のんびりした田舎が気に入っていたからみたいです。以前は漫画賞の審査員の仕事などで東京に行く用事がありましたが、『最近はとんと行ってないし断っている』とも話していました」

 スーパーマーケットで食材を眺めるのが好きだったという鳥山さんは、

「最近は軽自動車に乗っていましたが、方向音痴なところがあり『一人ではどこにも行けない』と言い、道に詳しい私は『マップくん』と呼ばれていました。長年のお疲れを癒やしてもらいたくて、瀬戸内海で体験できる6人乗りの『アウトリガーカヌー』に近々、先生をお誘いしようと思っていた。その矢先のことでした」(同)

 86年から7年間にわたりジャンプの編集長を務めた後藤広喜氏が言う。

「鳥山さんは、ストーリーとギャグをうまくミックスさせながら描ける人でした。そして、それが嫌味でも何でもなく入り込んでくる。両方とも無理なくスッと描ける、天然の素質のようなものが備わっていると感じさせられました」

 前編では、前出の松山さんが明かした最後の会話などについて報じている。

週刊新潮 2024年3月21日号掲載

特集「『ドラゴンボール』への願いも虚しく…『鳥山明』謎のベールに包まれた“地元愛生活”」より

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